お盆の特別な法問
2006年8月、新冠牧場への探訪から3ヵ月。私の次なるターゲットは、外山牧場の史料に登場するお雇い外国人「アンドリュー・マキノン」でした。彼は外山牧場に来る前、青森県三沢市にあった「廣澤牧場」で働いていました。この廣澤牧場こそ、明治初期に会津藩士の広沢安任(ひろさわ やすとう)が創設した、歴史ある民間洋式牧場です。
例年、お盆は亡き義母を迎えるため遠出はしないのですが、この年は特別な事情がありました。妻の盛岡の友人が不慮の事故で急逝したため、新盆のお参りをしたいという妻の願いを叶えることになり、故郷が同じ葛西氏も同行し、家族とニャンコのヒメと太郎、総出でお盆を盛岡で過ごすことになりました。
廣澤牧場探訪計画と岩手での安堵
盛岡で過ごすことが決まったことで、以前から温めていた廣澤牧場跡地への訪問計画を実行に移しました。廣澤牧場は、外山牧場の前身とも言える重要な場所であり、現在は三沢市で「先人記念館」として残っています。
まずは古河市にある菩提寺で義母のお墓参りを済ませ、早朝に岩手へ出発。午後3時に盛岡に到着し、荷を解いた後、中村家のお墓参りと、亡くなった妻の友人宅へのお参りを済ませました。妻の表情に少し吹っ切れた様子が見て取れ、私も安堵しました。
翌日、妻と相棒の葛西氏と共に、目的地の青森県三沢市へ向けて出発です。愛車のプレサージュで東北自動車道を北上。高速道路を軽快に走る車内で、三沢での計画を再確認しました。八食センターで昼食をとり、三沢の米軍基地を見学した後、本命の先人記念館を視察する予定です。
八食センターで感じた“地域活性化のヒント
最初に立ち寄った八食センターは、予想以上に巨大な市場でした。地元の新鮮な海産物や農産物が豊富に揃い、何十軒もの店舗が並ぶ光景は圧巻です。特に、新鮮な生牡蠣や寿司などの海鮮料理には目を見張るものがありました。また、購入した食材をその場で焼いて食べられる「七厘村」というエリアがあり、その賑わいに強い感銘を受けました。
この活気を見て、私は地域の活性化についてひらめきました。三陸海岸と盛岡の間に位置する薮川地区の高原地帯に、海の幸、山の幸(薮川の産物)、里の幸(盛岡周辺の産物)を集めた市場ができたら、さぞ面白いだろうと。
薮川に出来た市場で新鮮な食材を買い込み、岩洞湖の家族休暇村のキャンプ場で豊富な食材を堪能する。そして帰り際には、土地の香りが残るお土産を手にする――。
八食センターの活気あふれる成功モデルには、薮川地区の未来を切り拓くための学ぶべきヒントが、多大に含まれていると確信しました。八食センターで新鮮な海鮮料理を堪能し、お土産は帰りに再度立ち寄ることにして、早々に三沢へと向かいました。
米軍基地そして「先人記念館」へ
三沢米軍基地では、アメリカンスタイルの店舗や輸入食品が並ぶ、日本ではないような雰囲気に妻は興味を示しましたが、今回は廣澤牧場が最大の目的です。またの機会に訪れることにして、基地を後にしました。
そして、ついに目的地の「先人記念館」へ。この場所が、かつて南部藩最大の馬の放牧場があった跡地に建てられたことを初めて知りました。
館内で展示されているガラスケースの史料を拝見すると、廣澤安任が、戊辰戦争に敗れて青森の荒野(斗南藩)へ追いやられた旧会津藩士たちを救うため、明治5年(1872年)に日本初の民間洋式牧場「廣澤牧場」を開設した歴史が分かります。そして、技術指導者として、探し求めていたイギリス人のアンドリュー・マキノンが雇用されたのです。
お雇い外国人「アンドリュー・マキノン」
ついに展示の中でアンドリュー・マキノンとご対面。「待ってました!」と心の中で叫び、館内撮影許可があったので一枚収めました。
明治5年に廣澤牧場へ招かれたイギリス人技術者のマキノンは、日本にまだ洋式牧場がなかった時代に、農具の使い方から牧場づくりの基本までを実地で指導し、廣澤牧場の近代化を支えた重要人物です。明治9年、県営外山牧場の開牧に合わせお雇い外国人として迎えられました。
さらに展示を見進めると、以前三里塚の調査で関わりのあった内務卿・大久保利通の名前が突然出てきたのです。なんと、明治9年の天皇陛下の東北巡幸に随行していた大久保利通が、わざわざルートを外れて三沢の廣澤牧場を視察していたというのです。
この事実により、「明治9年の天皇陛下の東北巡幸」が、私の追っている外山牧場の歴史にも深く関係している可能性が浮上しました。歴史の点と線が繋がり、新たな調査の課題が加わった瞬間です。
盛岡の資料がなぜ? クレジットが突きつける現実
館内には古い農具や貴重な史料、南部馬の映像などが展示されていました。しかし、映像の最後に著作権者・提供元として「盛岡市中央公民館」のクレジットが表示された瞬間、私は強い違和感に襲われました。
かつて千葉の「三里塚下総御料牧場記念館」を訪ねた際、職員の方から「南部岩手は馬と牛の国。現地ではどのようにその歴史を伝えているのですか?」と問われ、答えに窮したショックが蘇ったからです。
盛岡には多種多様な記念館や資料館が乱立しているにもかかわらず、馬事産業の中心地であったはずの「馬」の専門資料館は存在しません。旧南部藩の縁があるとはいえ、地元の盛岡ではなく、青森県三沢市の地で市所有の資料を目の当たりにすることになろうとは、皮肉な現実に思いもよりませんでした。
想像を絶する「外山節」の草刈カマ
そして草刈りや耕作の様子の銅像がありました。ここで、草刈唄「外山節」に出てくる草刈り用の鎌(カマ)を目にします。
「でっ、デカい!」思わず声が漏れました。
想像していた物より2倍の大きさで、タロットカードに描かれる死神が持つ巨大な鎌であったことを知ります。フィールドワークの力は絶大です。実際に現地に来てみなければ、歴史上の記述だけでなく、こうした具体的な農具の形一つすら知ることはできなかったでしょう。百の記述より、一つの現物。その力を改めて思い知らされました。
廣澤牧場での大きな収穫を終え、再び八食センターに寄り大量のお土産を買い込み、私たちは帰路につきました。岩手山に沈む眩い夕日を眺めながら、東北自動車道をひた走る車内。心地よい疲労感と、繋がっていく歴史への高揚感に包まれながら、私たちは盛岡のアパートへと帰宅しました。











