探訪経緯19-1(競馬フォーラム)

盛岡市「岩手競馬を考える県民フォーラム」馬の三銃士、現る

平成19年(2007年)2月11日

岩手の地域活性化活動のために帰省していた折、地元テレビのニュースで「岩手競馬を考える県民フォーラム」が翌日、盛岡市で開催されることを知りました。「明日じゃん!」と思いつつも、急遽予定を変更して参加することに。赤字が続いていた岩手競馬の存廃を巡る議論に、市民がどう関わるのかに強い関心を抱いていたからです。

このフォーラムでは、「新しい岩手県競馬組合改革計画」の説明とともに、今後の岩手競馬の方向性を県民と考えるディスカッションが行われました。そして、ここで後の活動に深く関わる三人と出会うことになります。

提供:一条家所蔵

岩手競馬の未来を巡る意見のぶつかり合い

会場には競馬関係者や馬主をはじめ、多くの県民が参加。目立ったのは「岩手の馬事文化を絶やしてはならない」という声でした。南部駒、南部曲り屋、流鏑馬、さらにアテルイが活躍した時代にまでさかのぼる歴史――奥州征伐、源平合戦、関ヶ原の戦いなど、馬と共に歩んだ南部岩手の歴史を守りたいという意見です。

一方で、「ギャンブルの赤字を税金で補填するのはおかしい」との廃止派の意見も根強くありました。議論は大きく次の二派に分かれます。
• 廃止反対派:馬事文化の継承を重視
• 廃止賛成派:税金負担への疑問

話は平行線をたどったままで、しかも明治維新以降の馬については何も語られない状態でした。
そんな中、盛岡が地方競馬の発祥地であるという説明がありましたが、一部の参加者はそれすら知らなかったようです(人のことは言えませんが)。私は思わず「なぜ?」と驚き、少し苛立ちを覚え、思わず手を挙げて発言してしまいました。

「明治維新以降の日本の馬事について、ご存じですか?」三里塚記念館で館長や新島氏から聞いた知識をもとに説明しました。

「競馬はイギリスやフランスでは貴族や富裕層の娯楽として始まりましたが、日本は違います。盛岡競馬場は馬の育成と性能確認のために設けられた、いわば“馬のオリンピック会場”です。」「“より速く、より強く、より高く”を競い、馬の資質を見極める国策の一環でした。その背景を踏まえて議論すべきではないでしょうか。」……会場は静まり返りました。

司会の倉原先生が議論をまとめ、「今後の岩手競馬の方向性を考える材料とする」として閉会。(※後日、倉原先生から「詳しくお話を伺いたい」と連絡をいただき、岩手県立大学を訪問。後に薮川地区の活性化活動を共に行うことになります。)

馬の縁が生んだ出会いと“とんでもない人”

フォーラム終了後、多くの方と名刺交換。その中には東京から駆け付けた新聞記者・有吉氏と、競馬をこよなく愛するフリーライター・博田氏がいました。有吉氏は後に私とJRA関係者をつなげるなど、ご縁を広げてくれる存在に。一方の博田氏――この人がかなり“強烈”でした。

数日後、「地方競馬発祥の地・岩手競馬がなくなれば全国の地方競馬に影響が出る」と熱弁。私はというと、宮沢賢治が訪れた外山地区を調べる中で馬に関心を持っただけで、競馬には無関心。馬券も買ったことがありません。なぜこれほど熱心なのか、正直困惑しました。

約2か月後、「4月18日の夕方、大井町駅に来てください」と一方的な連絡。断っても「中村さんにとって大切なことです。必ず来てください」と食い下がられ、根負けして了承。内心、「あぁ、本当にとんでもない人に関わってしまった……」と後悔しました。

初めての競馬場と“サプライズ”

約束の4月18日、雨の中連れて行かれたのは「大井競馬場」の指定席。初めて競馬場でレースを見ましたが、感動は特になく、4月とは思えない寒さだけが記憶に残っています。博田氏は日本の競馬について熱心に語ってくれましたが、内容はほぼ覚えていません。

レース終了後、ようやく帰れると思いきや、大きな紙袋を差し出されました。中には競馬に関する膨大なコピー資料が。「これを私に? この大量の資料を!? まさかのサプライズプレゼント!?」内心ツッコミながら「東京から茨城まで、この重さを持ち帰れと……」と困惑。好意なのはわかるものの、こちらの事情は完全に無視され、「トホホ……変な人に関わってしまった」とため息をつきました。

さらなる展開、そして“誰かに会ってほしい”

しばらくすると、「どうしても会っていただきたい人がいるので、6月16日に盛岡に来てください」との連絡。「どなたですか?」と聞いても、「それは言えません。ただ重要な方です」とニヤリ。またも一方的な依頼でしたが、ちょうど岩手での月例活動に合わせて日程を調整しました。そして当日、指定された盛岡市・上田の岩手第一ホテル駐車場で、次なる“展開”が始まります。

歴史探索の経緯(続き19-2)へ