証拠は過去の写真から:ビフォーアフターへの挑戦
外山には、何も残っていない。その事実に私は言いようのない憤りを感じていました。外山に「御料牧場」が存在したという決定的な証拠は、三浦先生から預かった当時の写真だけでした。
かつて三浦先生宅で、百年史に掲載できなかった当時の写真を見せていただいた際、私が「これはあそこで撮られた写真ですね」と場所を伝えると、正解だったようで先生は大変喜ばれていました。その笑顔を思い出し、私は心に決めました。
「当時の写真と同じ場所で今の風景を撮影し、ビフォーアフターで歴史を可視化しよう!」
最高の布陣:小木氏との再会
撮影を依頼したのは、大学(多摩芸術学園)時代の同期で写真科の小木氏です。学生時代、写真科にもかかわらず葛西氏の原作による「Killing Time」という私の芝居に役者として無理やり出演させて以来の付き合いで、卒業後も私の劇団の映像をすべて記録してくれてくれた大恩人です。葛西氏と一緒に彼を説得し、二人の仕事の合間を縫って「関東から岩手へ2泊3日の弾丸撮影旅」が幕を開けました。
深夜の強行軍:盛岡の「アーク街」を目指して
2006年6月2日(金)夜9時30分、茨城県の古河駅で合流。妻の愛車プレサージュに乗り込み、東北道を北へひた走ります。車内では、かつて大赤字を出した(!)苦い記憶の朗読劇「光と音のシンフォニー」の録音を流しながらのドライブです。
盛岡が近づくにつれ、「宮沢賢治が見ていた盛岡の夜景(アーク街)を見に行こう」と盛り上がり、目的地を急きょ、私のアパートから天峰山(てんぽうざん)山頂へと変更。深夜の山道を突き進みました。
午前2時過ぎ、天峰山9合目に到着。澄み切った空気の中、6月上旬とは思えない寒さと、24時間止むことのない風。下界に広がる盛岡市の光り輝く夜景、賢治のいうアーク街。そして、肉眼で見える天の川と満天の星空が私たちを迎えてくれました。
(2006年6月3日午前2時30分、盛岡市の月はすでに地平線の下に沈んでおり、空には出ていませんでした)
「なんでこんな星空が見える場所だって教えてくれなかったんだ。屋久島に匹敵するレベルだよ! 星空用のレンズ、持ってくればよかったじゃん!」……まさか怒られるとは(笑)。残念ながら機材が足りず、その満天の星空をカメラに収めることはできませんでした。
追憶のルート:小岩井農場から「何もない」蛇塚へ
翌朝。かつて一條牧夫場長や新山莊輔場長や馬事関係者が馬で駆け抜けたであろう、小岩井農場から外山御料牧場への最短ルートを辿る撮影を開始しました。土曜日の小岩井農場は家族連れや観光客で溢れかえっていましたが、撮影コースを半日で回らなければならないため、私たちは先を急ぎます。滝沢の種畜場跡を抜け、石川啄木生誕の地・常光寺へ。そこで「バッタリ小屋」と思われる建物を撮影し、天峰山へ向かいました。
小岩井農場
小岩井農場
常光寺
バッタリ小屋
深夜の夜景とは違う天峰山山頂からの風景。小岩井農場の方向を指さして説明すると、小木氏はシャッターを切りながらこう漏らしました。「夜もすごかったが、日中もすごいな。こんなに絶景なのに……誰もいない……」直前に小岩井の人混みを見てきただけに、その静寂が余計に際立って感じられたようです。
その後、明治時代の県営外山牧場跡や外山神社を経て、いよいよ私が幼い頃に過ごした「蛇塚(へびづか)」へ。
三浦先生から預かった古い写真と、山脈の形から現在の風景を照らし合わせる「ビフォーアフター」の撮影です。小木氏は、かつてシャッターが切られた正確な場所を見事に探し出し、当時と同じアングルで風景を切り取ってくれました。
レンズ越しに見る風景は当時のまま。写真はここに御料牧場が存在し、建物があり、牧夫たちの笑顔があったことを証明していました。「幻」などではない、確かな歴史がここにはあったのです。

牧場風景(現在)
牧場風景(現在)
牧場風景(現在)
貴賓館跡地(現在)
「誰もいない」という現実
蛇塚での撮影を終え、足を延ばして岩洞湖(がんどうこ)から家族村を回り、夕刻に再び天峰山へ。撮影を続ける小木氏は、口癖のように「こんなに素晴らしいのに、誰もいない」と繰り返します。それは「誰もいない」のではなく、正確には「誰も知らない」のです。過去の負のレッテルや、間違った認識が人々を遠ざけているのかもしれません。
岩手山と夕日(天峰山より)
誰も来ない静かなキャンプ場
外山と岩洞湖を時計回りに回り、再び天峰山へ。岩手山に沈む夕日を眺めながら私たちは山を下り、その夜はもちろん「弾丸撮影成功の打ち上げ」の宴会です。しこたま飲みました。
翌日、小木氏を盛岡駅へ送る道すがら、日比谷公会堂と同じ設計者による「盛岡市公会堂」を案内しました。昭和天皇のご成婚記念で建てられた歴史に、彼は興味深そうにカメラを向けていました。盛岡駅に到着すると、6月10日(土)に開催される「チャグチャグ馬コ」のイベントが行われており、賑やかな中での見送りとなりました。
公会堂
撮影してくれた小木氏
「誰もいない」という現実
あれから20年。2026年の今、天峰山は9合目までしか登れなくなり、相変わらず観光客の姿はありません。外山の地は限界集落に突入し、景色だけがあの日と変わらず、今も静かに時を止めたままです。しかし、あの時レンズに収めた「かつての風景」と「今の風景」の重なりは、今も私の中で鮮明に生き続けています。
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