外山の四季(思い出の手記)

外山の思い出の手記

町内会 会報誌掲載より

盛岡市高松四丁目在住 元外山小学校教員 伊藤一治先生(昭和46~49年)
【一條八平太氏より紹介される。学校給食をしていた母とは二十数年ぶりの再会】

外山の四季

昭和46年に外山の学校に赴任しました。春の野山は鮮やかな赤や黄色のレンゲツツジに彩られ太ったワラビ・フキなどの山菜が一面に生え茂っています。秋にはボリやハツタケが、これでもか之でもかというくらい採れるのです。元気な子供たちです。恵まれた充実した毎日でした。

日本で最も大きい人造湖の岩洞ダムが完成した時に、不要になった飯場の材料をゆずり受けて造ったという教員住宅は、根太が腐りすき間風の通り抜けるみすぼらしいものになっていました。

秋も深まってくると冬越しのためカメ虫が建てものの中に集まってきます。部屋が温まるにつれて天井にカメ虫が群がり盛んに飛び回ります。特に炊事の時は体に取り付き、ご飯やみそ汁の中に落ちて来るので食べてなどいられません。天井にいるカメ虫に一升ビンを押し当てて、取り除く大仕事の後で急いで食べる毎日でした。

11月末に30㎝の雪が積もり、気温が10度以下の日が続いて根雪となりました。日毎に増す寒さに備えて、新聞紙で目張りをし、ストーブ・こたつで冬支度を終えました。1月に入ると20度以下の日が続きました。

送別会で「外山は寒いところだぞ、布団に氷柱が出来るので、急に起き上がるなよ、喉に突き刺さって怪我をした人もいるそうだ。気をつけろよ。」と驚かされたのを思い出しました。なんと朝の布団の襟元には、長さ4㎝の氷柱が数本垂れ下がっているんです。先端は球のように丸くなっていて、布団の生地が柔らかく動くので、危険はなかったのですが、異常な寒さを目にする事になりました。

吹雪の夜には隙間風と一緒に吹き込んだ雪が、高さ5㎝の尾根をつくり、まるで万里の長城のように風の道沿いに部屋を横切っています。風の向きによってコースが変わりますが布団の上を足元から腹・肩と通り入口に向かって抜けられた時には、余りの重さに目を覚まし布団を敷き直した事もあります。

あの日は日中も気温がゆるまず体中が凍りつくような厳寒の一日でしたので、子供たちを追い出すように早めに下校させました。水道が凍っては困るので、二つの大きなバケツに水を汲んで赤々と焚いたストーブの側に置いて寒い夜にそなえ、夕食後は丹前を羽織るようにして本を読んでいました。

喉が渇いたのでヒシャクで水を飲もうとしましたが、凍っているのです。暖房の利いた部屋の中で中央の直径10㎝を残しただけでいたのです。異常な寒さに恐れをなし寝具を全部使い衣類を重ね着し、早めに床に入りました。頼りの綱の電気毛布が威力を発揮してくれたお陰で、足腰は温かかったのですが肩や首は痛いほど寒くて、着替えの衣類を首の回りに積み重ねて「若し停電になったら朝までに凍死するのでは」と不安のまま眠りにつきました。

早朝、カーン・カーンという高く冴え渡った音に目を覚まされました。まだ明けきらないこの寒さの中で働いているものなどあろう筈もないのに、それにしても何処かで聞いた事のある音なのだが、そうだ深い谷間の木を斧で切り倒していて、その音が谷間に反響する時の甲高い音ににています。

話には聞いた事がありました。余りの寒さに立ち木が凍り、太い幹が張り裂ける『凍裂』をおこしているのです。空の白むころには凍裂音が激しくなり、朝日と共にその音はしずまっていきました。

晴れ渡った朝の寒気のなかに、霧でもないのに大気がキラキラと金色に輝き、実に神秘的な美しさを醸し出しています。大気中の放射冷却で更に冷え込み、百葉箱の最低気温は30.5度を記録していました。

この日の職員室は、冬の気象学習会みたいになって、凍裂・ダイヤモンドダスト・雪庇などの言葉や、旭川に次いで寒い所、藪川の気温は外山支所で観測していること等を教えて貰いやっと外山の人間になれたような気がしました。

この異常に居座る寒気のために困った事がおこりました。今まで平らになっていたトイレの底が凍りつき、その上に放便された塊が見る間に凍りついて、さながらヨーロッパの教会のように、上へ上へと伸びてきて、遂に尻の位置まで高く成長しているのです。

子供たちは便座と糞柱の隙間に落とすよう工夫していましたが、もう限界となっています。お湯をかけても匂いだけは出るが少しも溶けません。むしろ凍っている方が臭くなくて作業はしやすいのです。交代しながら狭い便座から長い鉄棒で大便の柱を崩そうとするのですが、なんたって20度以下の氷なんですから、先端部を欠くのに手一杯で目に見える効果は上がる筈がありません。

清も根も使い果たしての作業は終わったのですが、皆の顔も冴えません。「これでも大分良くなったから、柱の部分を外す工夫をしながら使用させることにしよう」ということで、春の早く来るのを待つのみという事になりました。作業を終えて部屋に戻ると、衣服に跳ねた氷りの破片が急に溶けたのでしょう。一気に不快な臭気を立て始めました。

いつの間にか春の気配が静かに忍び寄っていました。日中の気温が緩み日当たりにはバッケが顔を出して、一度も融けることの無かったこの雪も、三月の一週間の好天に川のように流されて初めて冬を終えました。