A.馬事文化を巡る外山探訪 1

馬事文化関連の地を巡る外山探訪

盛岡駅

1880年(明治14年)全国への鉄道を建設することを目的とし日本初の私鉄「日本鉄道会社」が設立。上野駅~青森駅間施工開始。
1890年(明治23年11月1日) 上野~盛岡開通 盛岡駅として開業
1891年(明治24年9月1日)盛岡~青森間開通し、上野~青森間全通
1906年(明治39年11月1日)日本鉄道が国有化され、国有鉄道の駅となる
1921年(大正10年6月25日)橋場軽便線(現在の田沢湖線)が開業
1921年(大正10年6月25日)小岩井駅開業
1923年(大正12年10月10日)山田線が開業

小岩井農場の創業者

井上勝は、日本の鉄道の父と言われる人物です。幕末の動乱期にイギリスに密航した伊藤博文、井上馨ら5人の長州藩士、いわゆる長州ファイブの一員です。

1888年(明治21年)6月12日。この日、盛岡を訪れていた明治政府の鉄道庁(当時は鉄道局)長官、井上勝は、眼前に広がる岩手山の南麓に広がる風景に目を奪われていました。それは、木もまばらな不毛の原野でした。奥羽山脈から吹き降ろす冷たい西風のなか、ススキや柴、ワラビなどが散在する火山灰地を前に、井上は、この荒れ果てた土地に大農場を拓くという、かつて誰も抱いたことのない夢を抱いたのです。(小岩井農場HPより)

井上 勝(いのうえまさる) (1843~1910)

井上勝

鉄道庁長官。長州藩(山口県萩市)出身。幕末、伊藤博文(後に総理大臣)らと共に英国に渡り、鉱山・鉄道などの工学を専修した。帰国後は明治政府の鉄道頭となり、東海道線や東北本線などの幹線鉄道を完成させた。1893年 (明治26年)鉄道庁長官を退くまで二十数年に亘り鉄道事業の育成に尽くし、退官後、鉄道視察に赴いロンドンで客死。

小野 義眞(おのぎしん)(1839~1905)

日本鉄道会社副社長。土佐藩(高知県宿毛市)出身。藩政時代は郷里の大庄屋であったが、維新後官途につく。退官後、三菱の創業者岩崎彌太郎の知遇を受け、その代理として三菱のために各方面に活躍する。日本鉄道会社には三菱を背景として参画し、後に社長となる。

岩崎彌之助(いわさきやのすけ)(1851~1908)

三菱社社長。土佐藩(高知県安芸市)出身。三菱の創業者・岩崎彌太郎の実弟。1885(明治18)年、彌太郎没後、三菱の第二代社長となる。海運から鉱山・炭鉱・造船・金融・不動産などに進出し、三菱の事業の多角化を図る。1896(明治29年)年から2年間、第四代日銀総裁も勤めている。

小岩井農場を支援した御料牧場幹部二人

明治32年(1899)~明治39年(1906)
●小岩井農場の事業について助言。
●明治期の基礎となる牛群、羊群、サラブレット種馬の選定と輸入

藤波 言忠(1853~1926)主馬頭 小岩井農場監督
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新山 莊輔(1853~1930)下総・新冠・外山御料牧場長 小岩井農場長
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探訪実施日:2014年9月17日 /
探訪メンバー:一条八平太氏、新山春一氏、足沢至氏、下田靖司(歴代場長)、中村辰司氏(私)