④ 高村 光太郎

高村光太郎

開拓に寄す

岩手開拓五周年、
二万戸、二万町歩、
人間ひとりひとりが成しとげた
いにしへの国造りをここに見る。
エジプト時代と笑ふものよ、
火田の民とおとしめるものよ、
その笑ひの終らぬうち、
そのおとしめの果てぬうちに、
人は黙つてこの広大な土地をひらいた。

見渡す限りのツツジの株を掘り起こし、
掘つても掘つてもガチリと出る石ころに悩まされ、
藤や蕨のどこまでも這ふ細根ほそねに挑いどまれ、
スズラン地帯やイタドリ地帯の
酸性土壌に手をやいて
宮沢賢治のタンカルや
源始そのものの石灰を唯ひとつの力として、
何にもない終戦以来を戦つた人がここに居る。

トラクターもブルドウザも、
そんな気のきいたものは他国の話、
神代にかへつた神々が鍬をふるつて
無から有うを生む奇蹟を行じ、
二万町歩の曠土あらつちが人の命の糧かてとなる
麦や大豆や大根やキヤベツの畑となった。
さういふ歴史がここにある。

五年の試練に辛くも堪へて、
落ちる者は落ち、去る者は去り、
あとに残つて静かにつよい、
くろがね色の逞しい魂の抱くものこそ
人のいふフランテイアの精神、
切りひらきの決意、
ぎりぎりの一念、
白刃上はくじんじゃうを走るものだ。
開拓の精神を失ふ時、
人類は腐り、
開拓の精神を持つ時、
人類は生きる。

精神の熟土に活を与へるもの、
開拓の外にない。
開拓の人は進取の人。
新知識に飢ゑて
実行に早い。
開拓の人は機会をのがさず、
運命をとらへ、
万般を探つて一事を決し、
今日けふは昨日きのふにあらずして
しかも十年を一日とする。

心ゆたかに、
平気の平左へいざで
よもやと思ふ極限さへも突破する。
開拓は後あとの雁がんだが
いつのまにか先の雁になりさうだ。
開拓五周年、
二万戸、二万町歩、
岩手の原野山林が
今、第一義の境さかひに変貌して
人を養ふもろもろの命の糧を生んでゐる。

開拓5周年

昭和25年11月11日盛岡市大沢川原「労働会館」おいて開催された開拓5周年記念祭に故高村光太郎先生の講演があったが、このときを記念して「開拓に寄す」の詩文は、先生の友人藤原藤治氏(東根開拓農協長)によって朗読せられた。

先生は昭和20年8月花巻市太田村の山口部落から4キロメートルばかり離れた山奥に部落民協力をえて建てられた山小屋で足かけ8年間、孤独の生活をおくられたのである。この間、薮や木の根っ子、砂礫等の除去と取組む開拓者の生活を、あのやさしい瞳でながめながら親しく言葉を交わしてくれたと、地元民は今は亡き先生を偲んでいた。

そして「開拓に寄す」の詩は岩手の開拓者はもちろんのこと全国の開拓者や関係者を励まし、ふるいたたせたのである。