新島新吾氏宅訪問 3
貴賓館と『注文の多い料理店』

疑問に思ってきたことを新島氏はズバッと解決して頂き、それ以上に御料牧場の事を教えて頂き、池上先生のフィールドワークはすごいと感心していると、新島氏が「宮沢賢治の童話「注文の多い料理店」なのだが…、もしかしたら御料牧場の貴賓館をモデルにしたのかもしれない!」
いきなり出てきた宮沢賢治の名! 「注文の多い料理店」?賢治の童話作品が出てくるなんて全く予想もしていなかったので正直困惑していました。
新島氏は小学校の教員だったの事もあり宮沢賢治作品はよく読んでいたとの事でした。賢治作品は教科書に採用もされていたので「注文の多い料理店」も教材にした事があったそうです。「宮沢賢治は、想像力豊で素晴らしい感性の持ち主で面白い童話を生み出す作者だと思っていたのだが、宮沢賢治が外山御料牧場に訪れたのならば、話は違ってくる。」そう言って貴賓館のパンフレットを差し出しました。
『注文の多い料理店』は多くの人に読まれていますが、読まれたことがない方のため。私が簡単にまとめたあらすじを紹介します。
東京から来たイギリスの兵隊の恰好をした二人の若い紳士が、ピカピカの鉄砲担ぎ白熊のような犬を二匹連れ山の山奥に狩猟にやって来ました。奥深い山奥で、案内してきた鉄砲撃ちとはぐれてしまい。途中で連れてきた白い犬も死んでしまい。お腹が空き狩猟はあきらめ戻ろうとするが、どっちに行けば戻れるのか見当がつかず山の中でさまよってしまいます。
風がどうと吹ふいてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴り、後ろを振り返ると、西洋造りのレストラン山猫軒がありました。客に様々な注文を求め、いつまでも続く扉の不思議な西洋料理店。
「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」
「注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい。」
「お客さまがた、ここで髪をきちんとして、それから履物の泥を落してください。」
「鉄砲と弾丸をここへ置いてください。」
「どうか帽子と外套と靴をおとり下さい。」
「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、特に尖ったものは、みんなここに置いてください」
そして、クリームを顔や手足に塗り、香水を頭に振りかけ、身体中に塩をもみ込んだ時点で、ここは「料理を客に提供する店」ではなく「客を料理して食べる店」であることに気づきます。逃げようとするが、扉は開きません。その時、死んだはずと思っていた猟犬が2匹、入り口の扉を破って入ってきます。二人は助かり、無事に東京に帰ることができましたが、恐怖でくしゃくしゃになった顔は、東京に帰っても戻ることはありませんでした。
新島氏は、貴賓館のパンフレットを開き貴賓館の説明を始めます。貴賓館とは、天皇陛下をはじめとする皇族の行幸啓の際に宿泊(外山節に出てくる行在所)する施設と、国の要人や諸外国大公使の接待にも利用される施設である事を説明して下さいました。下総御料牧場の貴賓館の造りは和洋折衷で正面は和風・裏面は洋風になっています。
- 貴賓館 パンフレット 表
- 貴賓館 パンフレット 裏
そして、貴賓館の図面を指さしながら訪問客が訪れた時の流れを説明し始めます。
- 貴賓館に皇族の方や要人に接見するため訪れた場合、訪問者は芳名帳に名を記し素性・目的を確認。玄関から入るのだが入り口は一つ。ここで、訪問者は靴を脱ぎ、帽子・外套(コート)・傘・カバン等の手持ち品を預ける。
- そして、来客者は入ってすぐに左にある【控の間1】に通され、所持品(ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類)を預かり、刃物などの危険物を所持していないかを確認するためのボディーチェックをうける。
- 次に隣の【控の間2】に通され、着衣を脱ぎ下着一枚となるように指示され下着の中までしっかりと検査されチェックを受ける。「セキュリティーチェックか! ヤバイかも、マッ、マジすか?」
- 【控の間2】で問題が無ければ、脱いだ着衣を身に着け廊下を通り、目的別に【洋間】か【奥の間】に案内されます。
- 【奥の間】に案内された場合、【一の間】➡【二の間】➡そして最終的に【次の間】に通される仕組みになっており、暴漢などからの被害を未然に防ぐ目的と、【次の間】に逃げ場がないので追い詰めることを目的とした造りになっているそうです。(翌年、三里塚桜祭りに参加した時、新島氏に案内され貴賓館に入り実際に説明を受けました)

「う~ん!」頭をハンマーで殴られた衝撃と、背中がゾクゾクする感覚。確かに『注文の多い料理店』と舞台設定が似ている。
新島氏の説明を続けます。
「日本で、この様なチェックをするのは。皇室の施設(ここでは貴賓館)と、(握りしめた両手を前に出し)お縄になった人が入る場所の2か所くらいだ」
なるほど、言われてみれば確かに厳重なセキュリティーが必要。全くセキュリティーの事は考えたこともなかったので、改めて御料牧場が皇室のものである事を実感した瞬間です。
新島氏曰く、宮沢賢治が自分のイメージ想像だけで描いたのならば、それはそれですごい事なのだが、外山に宮沢賢治が訪れた大正時代には、外山御料牧場があり貴賓館もあった。実際に中に入れたか?は不明だが、貴賓館での来客者の流れを知っているとしか思えない。
ふと、『注文の多い料理店』序の一文に…
中略
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
中略
が思い出されました。
「はて?関係者以外の一般人は立ち入り禁止の場所に宮沢賢治はどの様にして入ったのだろうか?」に加え「今更ながら、御料牧場である事を知った上で訪れていたのだろうか? 何で? 目的は? 当時の盛岡市民にとって皇室はどんな存在だったのか?」御料牧場の事を伺い謎が解明されたと思ったのに…それを上回る疑問が頭の中を駆け巡っています。
貴賓館の説明と『注文の多い料理店』のお話をしていて、「外山開牧百年史」ウサギ狩りの記述があった事を思い出し写真ページを開き唖然とします。
「奥深い山奥」「イギリスの兵隊の恰好をした紳士が山奥に狩猟、ピカピカの鉄砲」「山奥の洋館」
- 外山の放牧地
- ピカピカの鉄砲とウサギ狩(事務所前)
- 白亜の洋館
- 貴賓館
確かに外山にも貴賓館はありましたが、下総の貴賓館の和洋折衷であったか不明ですが事務所は白亜の洋館です。
新島氏とは長い時間お付き合いして頂きました。ふと時間を確認すると午後5時半頃に、約4時間も経っていました。「外山開牧百年史」のコピーをお渡しお暇させて頂く旨をお伝えすると、ご自身が研究し執筆した新山莊輔氏の資料や御料牧場関係の資料コピーを沢山下さいました。
帰り際、新島氏が「来年(平成16年)の4月、新山莊輔場長の像を再建し除幕式をする予定なのだが、実行委員に加わってくれないか?当日は新山莊輔氏の子孫の方々も参列する事になっている。」
思いがけないお誘いに「はい、ぜひ参加させてください。」とお伝えしお邪魔ました。(この事がキッカケで、新山莊輔氏の子孫の方々廻り合う事になります。)
千葉県成田市から自宅の茨城県古河市は、直線距離で約90㎞なのですが、このころは高速道路が開通していない為、一般道で約3時間もかかってしまいました。(古河から東北自動車道を走行した場合、国見峠まで行ける時間)
長い帰りの車中色々考えながら、「なんかこれは、とてつもなく大変なことになるかも?」と思いながら車を走らせました。(案の定、ますます深みにはまる探訪になりました。)翌日、新島氏から頂いた資料を確認。日本国の馬事・畜産振興に尽くし岩手県に深く関与した新山莊輔氏の功績を知る事になります。まさに藪蛇「なぜ、岩手・盛岡は新山莊輔氏の功績を伝えない。」この時から、明治維新後~大正時代に閉鎖された外山御料牧場の歴史を本格的に勉強する羽目になります。
- 貴賓館(表)
- 貴賓館前での野点(茶会)
旧下総御料牧場(三里塚記念公園)貴賓館は、下総御料牧場にて迎賓施設として使用された建造物です。もともとは、下総御料牧場の前身である「下総牧羊場」において、明治政府が畜産業の振興を目指すため「お雇い外国人」として招聘したアップジョーンズの官舎として印旛郡十倉村両国区(現富里市)に建築した純和風住宅でした。アップジョーンズが退職した後は牧羊場の事務所となり、明治13年に取香種畜場と合併し下総種畜場となった際も、引き続き事務所として使用されました。
明治21年に下総御料牧場と名称変更された後に現在の三里塚の地に移築され、大正8年の新事務所の建築に伴い貴賓館となり、宮内省による各国大公使の接待や、天皇陛下をはじめとする皇族の行幸啓の際の宿泊に利用されることとなりました。事務所から貴賓館への転用に際して、洋室の設置など大規模な改修が施され表は和風、裏は洋風の造りになっています。
- 貴賓館 洋間
- 貴賓館(裏面)洋風造り
2007年(平成19年)6月 池上先生の本に巡り合い9年目。外山の散らばっていた歴史のジグソーパズルを集めはめ込み歴史の全貌が表に出たことで、依頼主である玉山村村長 工藤久徳氏に最終報告。ですが、2006年(平成18年)1月 玉山村は盛岡市に編入合併で、窓口が盛岡市に変わった事を告げられます。