外山御料牧場の調査開始
1998年(平成10年)先生の本に巡り合い4か月後の5月28~6月2日まで長期の予定を組み家族で帰省。目的は玉山村活性化についての報告と打合せと、岩手県立図書館で外山御料牧場の調査をする為でした。
玉山村村長に 宮沢賢治が何度も外山に行っていた事を実証した池上雄三著書『宮沢賢治心象スケッチを読む』を紹介するも反応はイマイチ。本が出版されていたことも知らなかった様で、全くの無関心というより渋い表情でした。宮沢賢治もいいが、それ以外で玉山村が活性化になりそうな新たな企画・情報提供を求められ打ち合わせは終了。
翌日、図書館での調査開始。帰省中の盛岡市のアパート(母がアパート経営をしており帰省時に寝泊まりする為、大家が二部屋を占領)を出る時、妻の早知子に「おそらく図書館閉館時間ギリギリになると思う」と告げ、意気揚々と図書館の開館の時間に合わせ赴き、外山御料牧場に関する資料を検索してもらい資料を出してもらいました。
出てきた資料は、今私が手に持っている『外山開牧百年史』と「明治37年の外山御料牧場地図」たった二つだけで他には無いとの事。「マジ!うそだろう」唖然としました。他に手がかり無いかと岩手、盛岡、玉山の年表や郷土史を探すも見当たらず。岩手の競馬史に、「明治24年外山御料牧場開牧・大正11年下総御料牧場外山分場廃止、岩手県に移管」の2行。他も同じ様なもの…。
「明治24年~大正11年までの外山の歴史が、資料が、岩手にはない!」驚愕の事実が判明。「はて?」三浦先生はどこで情報を得たのか?
資料がなければ図書館に来た意味もないので、午前中に早々に切り上げアパートに帰宅。余りにも早い帰宅に驚いた妻に資料が全く無い事を告げると、妻は「国立国会図書館があるじゃない。」おぉ~!成程その手があったか!と感心していると「折角岩手に来たのだから、ついでに中村家の原戸籍をとってみれば!百年史に曾おじいちゃんの名前が有ったんでしょう。」
6月1日(月)再度玉山村役場におも向き戸籍謄本を入手できました。私→新八→喜一→喜左衛門→多助→太郎助と五代前にまでさかのぼれ、喜左衛門が明治19年に仁王村茅町(現在の材木町)から薮川村49番地に移転入籍した事が解りました。そして、池上先生と三浦先生にどうしてもお会いしたい!会ってお話を伺いたい衝動に駆られました。