探訪経緯13-2(新しき村)

外山と三里塚を結ぶ、不思議なご縁

4月8日の土曜日、私は妻に「葛西氏と伊藤玄一郎氏が来るのは午後6時頃かな」と伝え車で古河を出発しました。東京で後輩の葛西氏を乗せ、2人で成田空港へ向かいます。

道中、葛西氏には「成田空港で、三里塚へ行くお客と合流するんだ」とだけ伝えました。成田空港に到着し、携帯電話で連絡を取り合って伊藤玄一郎氏と無事に合流。さっそく葛西氏に伊藤氏を紹介しました。

最初、葛西氏はピンときていない様子でしたが、「伊藤氏は、理想郷のホームページを作ってくれた方だよ」と伝えると、「え!あのウェブサイトを作った人ですか!まさか会えるとは!」と驚きの声をあげました。

実は、ダメ元で伊藤氏の消息を確認したところ、偶然にも日本に来る用事があるとのこと。今回の私たちの予定に合わせて、会う時間を調整してくれたのです。このことを葛西氏に伝えると、彼はさらに驚いていました。

意外な場所で深まる外山との繋がり

お花見会の懇親会まで少し時間があったので、下総御料牧場にある三里塚記念館を案内することにしました。葛西氏も伊藤氏も、この場所を訪れるのは初めてです。

マロニエ並木を通り、記念館に入ると、目に飛び込んできたのは黒光りする豪華な馬車。「すごい、菊の御紋だ!」と、2人は圧倒されていました。初めて来たときの私と妻も同じ反応だったので、「やっぱり、そうなるよね」と思わず笑ってしまいました。

館内を回りながら、私は学芸員のように熱心に説明をしました。葛西氏は盛岡の出身なので、薮川外山が差別的な扱いを受けていた地域だと認識していましたが、こんな立派な牧場があったことに興味津々です。一方、伊藤氏は戦後の開拓で外山に移住し、そこで生まれ育ってからパラグアイへ渡りました。しかし、私と同じで外山御料牧場の存在は知らなかったのです。

「外山にこんな牧場があったなんて、信じられない。御料牧場はどのあたりにあったの?」と伊藤氏が改めて尋ねてきました。「外山地区全部。そして、牧場の事務所があったのがなんと、蛇塚!」そこで「外山開牧百年史」の配置図を広げ、幼い頃に伊藤家が飼っていた孔雀に追いかけられていた、伊藤家と蛇塚分校の間にある広場がその場所だと伝えると、彼はさらに驚いていました。

調べ学習は、まだまだ続く

記念館の資料館には、水野葉舟や高村光太郎など、多くの文人たちの作品が展示されていました。岩手に関係のある高村光太郎の展示を見ていると、伊藤氏の足が止まりました。

「あれ?この木村荘太氏って、『新しき村』に入村した人じゃなかったかな?親父の資料で見た気がする」伊藤氏の言葉に、私は心の中で「えぇ!ウソ、伊藤勇雄はこの人と知り合い?なんでまた、こんな場所で繋がるの…」と驚きました。武者小路実篤の「新しき村」と、千葉にある御料牧場に住んでいた人物が、まさかこんなところで繋がるとは想像もしていませんでした。「ハア~。また一つ、人と成りの課題が増えてしまった。また調べて勉強しないとですか…」

下総と同じように、外山という土地には何か特別な力があるのかもしれません。なぜ、これほど多くの文化人や芸術家が集まるのか、不思議な気持ちになりました。記念館を出て懇親会の会場へ向かう道すがら、頭の中は外山と三里塚の意外な繋がりでいっぱいでした。

三里塚と文人(三里塚御料牧場記念館 施設概要より)
 ここでは、三里塚を訪れて、若駒の群れなす牧場や緑深い三里塚の自然を詠み、画いた文人・画家たちの作品類を主体に展示いたしました。とくに、この地に後半生を送った水野葉舟の作品を中心として、葉舟と親交の深かった高村光太郎の「春駒」の原稿をはじめ、窪田空穂、前田夕暮、水町京子、三里塚の近く久米に住んだ木村荘太らの詩・俳句・短歌・小説・小品類と、大滝斗良樹、篠崎輝夫の油絵を展示。

歴史探索の経緯(続き13-3)へ