慶応三年(1867)~明治27年(1894))
慶応三年(1867) | ●大政奉還 |
明治元年(1868) | ●明治維新 ●戊辰戦争 |
明治2年(1869) | ◆戊辰戦争、南部藩敗北。 |
明治3年(1870) | ◆7月、盛岡藩は財政困難から廃藩置県に先立ち藩を廃止、盛岡県を置く。 |
明治4年(1871) | ●岩倉使節団出発(明治6年まで) ●7月 廃藩置県。 ●盛岡菜園馬場で洋式競馬(地方初)が開催。 ・農商務省陸産局 養馬係出張所を、岩手郡 藪川村外山に設けた。 ・外山への開拓入植開始。 |
明治5年(1872) | ◆盛岡県を岩手県と改称。 【会津藩の廣澤安任が英国人アンドリュー・マキノンと、アルフレット・ルセーの共同経営で青森県三沢に日本で初めての西洋牧場を廣澤牧場を開牧】 |
明治6年(1873) | ◆10月 島惟精が岩手県令に任命。 ・島県令は外山が牧場に最適と政府に申請。 |
明治8年(1875) | ■大久保利通内務卿が千葉県の香取牧を視察。内務省管轄の牧場として「下総牧羊場」と「香取種畜場」を開設する事を決定。 |
明治9年(1876) | ■7月 明治天皇東北ご巡行。 (7日盛岡、8日渋民、9日沼宮内) ・8月 岩手県令島惟精は、岩手郡藪川村・浅岸両村に「県営外山牧場」を創設。 ●下総牧羊場内に獣医学校設立(現東京大学農学部の前身) |
明治10年(1877) | ・牧場用地を二区分し、外山牧場と葉水牧場へ。 下総牧場員岩手厚雄、香取牧場卒業生2名、 英国人アンドリュー・マキノンを農業教師として招き開墾着手。(外山、葉水の両牧場と滝沢村の茨島牧場を三牧場と称した) ■北海道に新冠牧馬場創設。 |
明治12年(1879) | ・8月 外山牧場内に獣医学舎を設立。(現岩手県立盛岡農業高等学校) |
明治13年(1880) | ・一條九平氏(後の牧夫翁)外山牧場長となる。 ・7月 アンドリュー・マキノン氏退職。 ◆11月 獣医学舎は県学務課へ所管。学舎は盛岡市内丸勧業場内に移転。 ■下総牧羊場と取香種畜場を合併し、「下総種畜場」と改称。 |
明治14年(1881) | ■7月16日 第2回明治天皇東北ご巡行。外山村の牧畜場へ荻侍従を派遣。 ・県は、外山牧場(葉水・茨島を含む)を産馬会社に下付けし事業を継続。 |
明治17年(1884) | ◆獣医学舎が、「岩手獣医学校」と改称。◆岩手県競馬事務所設置。 |
明治18年(1885) | ■千葉県の下総種畜場が、「宮内省下総種畜場」と改称。御料局が設置。 |
明治21年(1888) | ■宮内省下総種畜場は「下総御料牧場」と改称。新冠牧馬場も、「新冠御料牧場」と改称。新山荘輔氏が場長兼務。 |
明治22年(1889) | ●大日本帝国憲法公布 |
明治23年(1890) | ・岩手県産馬会社を解体し、岩手県産馬組合を設立。外山牧場の処分を討議。 【11月1日 東北本線 盛岡~上野間開通】 |
明治24年(1891) | ・4月 産馬組合が外山牧場売却。 ■7月 外山牧場は宮内省に買上げられ「外山御料牧場」が発足。新山荘輔氏が初代場長に任命。下総・新冠の場長兼務)【小岩井農場創設】 |
明治25年(1892) | ・外山御料牧場の創業期(第一期 明治31年まで) |
明治27年(1894) | ●日清戦争勃発(翌年終結) |