宮沢賢治「外山の4月のうた」
記念歌碑建立
― 150年の歴史を未来へ ―
令和8年(2026)8月17日、盛岡市薮川外山において「外山開牧150周年記念事業」を開催しました。令和8年は、明治9年(1876)の外山牧場開牧から150年、明治24年(1891)の外山御料牧場開牧から135年、そして宮沢賢治生誕130年という三つの節目が重なる年となりました。
この節目を後世に残すため、宮沢賢治が親友・保阪嘉内に宛てた手紙に記した「外山の4月のうた」を刻んだ記念歌碑を建立しました。賢治が外山の自然と馬たちを見つめ、友へ伝えた言葉を、約100年の時を経て、その舞台となった外山の地に刻むこととなりました。
この記念事業は、歌碑を建てることだけを目的としたものではありません。外山牧場を築いた先人たちへの感謝、農耕や運搬によって人々の暮らしを支え、戦争では軍馬として多くの命を失った牛馬への慰霊と鎮魂、そして宮沢賢治が作品を通して伝えた生命への畏敬、平和と共生への願いを、次の世代へ伝えていくための記念事業です。
なぜ、この場所に歌碑を建てたのか
宮沢賢治は大正時代、外山御料牧場を訪れました。大正9年(1920)4月頃、親友・保阪嘉内に宛てた手紙の中で、賢治は…
「外山の四月をあなたは見なかったでせう。」
と記し、春を迎えた外山の丘、落葉松、残雪、花々、そして馬たちの姿を生き生きと伝えています。その手紙の中に記されたのが、「外山の4月のうた」です。これまで文献の中に残されてきた賢治の言葉を、実際にその情景が生まれた外山の地に刻み、これから50年、100年先の人々にも伝えていくため、今回の歌碑を建立しました。

■ 大正9年 宮沢賢治が友人保阪嘉内に宛てた手紙「外山の4月のうた」 短歌3首
外山開牧150周年記念事業
令和8年8月17日
記念事業は三部構成で行いました。第一部は外山神社境内での「牛馬鎮魂祭」、第二部は旧外山御料牧場ゆかりの地での「記念歌碑除幕式」、第三部は「まほら岩手」での「記念式典・祝賀会」です。
第一部 牛馬鎮魂祭
外山神社境内の「牛馬の碑」前において、外山の発展を支えた牛馬への慰霊と感謝を込め、牛馬鎮魂祭を執り行いました。明治以降、外山で育てられた馬や牛は、農耕、運搬、開拓などを通して人々の生活を支えてきました。一方、戦時下には多くの馬が軍馬として戦地へ送られ、故郷へ帰ることなく命を失いました。
150年という節目に、外山の歴史を人間だけの歴史として振り返るのではなく、その礎となった牛馬にも改めて感謝と鎮魂の祈りを捧げました。また、外山を「馬の故郷」として、チャグチャグ馬コも特別参列しました。
外山神社 鎮魂祭会場
牛馬鎮魂祭 会場(外山神社境内)
「外山節発祥の地」の石碑
牛馬魂碑(牛馬之碑)
玉串奉奠(駒形神社宮司 高橋数馬様)
衆議院議員 横沢高徳 様
岩手県農林水産部 農政担当技監 高橋真博 様
盛岡市玉山総合事務所 所長 山内真澄 様
宮沢賢治のご親族 林風舎 宮澤和樹 様
薮川自治会長 北川俊正 様
外山神社氏子会代表 日野杉勉 様
一般社団法人 外山御料牧場開拓研究会代表 中村辰司
牛馬鎮魂祭に特別参列
鎮魂祭参列者
馬の故郷・外山へ – 150年の時を越えて –
チャグチャグ馬コ「ゆうゆう」と仔馬「りんちゃん」
この日、外山にはチャグチャグ馬コの『ゆうゆう』と、仔馬の『りんちゃん』も来てくれました。そのきっかけとなったのは、5月に岩手県立大学の『いわて学』で外山を訪れた際、岩手県農業研究センター畜産研究所・外山畜産研究室の山口直己室長から伺ったお話でした。
今回建立した歌碑の背後にある細越山は、古くから『神社山』とも呼ばれ、かつて外山神社がその中腹に鎮座していました。その細越山にチャグチャグ馬コが放牧されていると知り、『馬のふるさと』ともいえる外山に、150年の節目にぜひ馬を迎えたいと考えたのが始まりでした。
外山は明治9年・1876年に県営外山牧場として開かれ、その後、宮内省所管の外山御料牧場となり、南部馬と外国種との交配など、馬の品種改良と育成が行われました。南部馬そのものは姿を消しましたが、そこで改良された馬たちの系譜は、その後の岩手の馬たちへと受け継がれていきました。
また、チャグチャグ馬コは外山と無関係な行事ではありません。もともとの信仰行事から、現在につながるパレード形式へと発展していく背景には、外山御料牧場との歴史的なつながりがありました。
こうした外山と馬、そしてチャグチャグ馬コとの縁を、チャグチャグ馬コ同好会 矢幅支部・支部長の山本克美さんにお話ししたところ、快く趣旨に賛同していただき、山本さんをはじめ、同好会矢幅支部の皆さんのご協力により、『ゆうゆう』と『りんちゃん』を外山に迎えることができました。
150年という節目の日に、かつて多くの馬が暮らし、馬の改良と育成が行われたこの地に、再び馬が立つ。その姿は、外山の馬の歴史が時を越えて現在へとつながったような、感慨深い光景となりました。

ゆうゆう(親)とりんちゃん(仔)、腹ごしらえ
主催者中村氏とゆうゆう
装束の着付け中
チャグチャグ馬コ「ゆうゆう」
第二部 宮沢賢治「外山の4月のうた」記念歌碑除幕式
旧外山御料牧場ゆかりの地に建立した歌碑の除幕式を行いました。県、市、地域関係者、外山牧場関係者、宮沢賢治・保阪嘉内ゆかりの方々など、多くの皆様に見守られる中、歌碑が初めてその姿を現しました。
歌碑正面には、宮沢賢治が保阪嘉内に宛てた書簡に記した「外山の4月のうた」を刻みました。裏面には、この歴史を支えてきた人々、団体・企業、そして今回の建立にご協力いただいた皆様の名を刻んでいます。
除幕式会場 旧外山御料牧場跡地
宮沢賢治と保阪嘉内の書簡を記した解説版
伊藤勇雄「開拓の碑」
新たに設置された看板(外山開拓に貢献した偉人達)
開拓神社
外山御料牧場跡地
記念歌碑除幕式
【主催者代表挨拶】一般社団法人 外山御料牧場 開拓研究会代表
中村辰司
【ご祝辞】岩手県農林水産部 農政担当技監 高橋真博 様
【ご祝辞】盛岡市玉山総合事務所 所長 山内真澄 様
除幕の瞬間
マスコミの囲み取材を受ける主催者 中村氏
歌碑正面(外山の四月のうた)
歌碑裏面(建立にご協力いただいた方々)
約100年の時を越えて―宮沢賢治と保阪嘉内、二つの家族が外山へ
今回の記念歌碑除幕式では、外山にとって大変貴重な出来事が実現しました。「外山の4月のうた」を手紙に記して送った宮沢賢治さんのご親族・宮澤和樹様と、その手紙を受け取った保阪嘉内さんのお孫さん・新村美佳様が、ともに外山を訪れてくださいました。大正時代、宮沢賢治は外山御料牧場を訪れ、その春の情景を親友・保阪嘉内への手紙に記しました。
「外山の四月をあなたは見なかったでせう。」
その手紙の中に書かれた「外山の4月のうた」が、約100年の時を経て、実際にその舞台となった外山の地に歌碑として刻まれました。そして令和8年8月17日。かつて手紙を送った宮沢賢治さんの家族につながる宮澤和樹様と、その手紙を受け取った保阪嘉内さんの家族につながる新村美佳様が、その歌碑の前にともに立たれました。
一通の手紙によって結ばれた宮沢賢治と保阪嘉内。その二人の交流から一世紀を経て、それぞれのご親族が、賢治が心を動かされた外山を舞台に出会い、「外山の4月のうた」を刻んだ歌碑の建立をともに見届けてくださったことは、今回の150周年記念事業を象徴する、忘れることのできない出来事となりました。
これは単なる記念式典の一場面ではありません。賢治から嘉内へ伝えられた外山の風景と言葉が、時代を越え、人から人へ、家族から家族へと受け継がれ、再び外山へ戻ってきた瞬間でもありました。
そして、この歌碑がこれからも、人と人、地域と歴史を結び、外山の物語を次の世代へ伝えていく存在となることを願っています。
第三部 記念式典・祝賀会
除幕式終了後、「まほら岩手」を会場に記念式典・祝賀会を開催しました。外山牧場、馬事・畜産、宮沢賢治、地域の歴史に関わってこられた多くの皆様にご出席いただき、150年の歩みを振り返るとともに、外山のこれからについて思いを共有する時間となりました。祝賀会では、外山で生まれた「外山節」なども披露されました。
記念式典・祝賀会の会場 まほら岩手
まほら岩手さんは、県内でも人気のキャンプ場
キャンプはじめ、様々なアトラクションが楽しめる
パネル展示もあり外山の歴史が学べる
まほら岩手に展示されている宮沢賢治書簡
祝賀会のはじまり
司会進行 村井沙織氏(フリーアナウンサー)
【主催者挨拶】 中村辰司
【ご祝辞】衆議院議員 横沢高徳 様
【ご祝辞】池上理恵 様
「宮沢賢治 心象スケッチを読む」の著者 故・池上雄三氏の奥様
【ご祝辞】新山春一 様
初代外山御料牧場場長・新山荘輔氏ご親族
【乾杯挨拶】向山三樹 様
保阪嘉内・宮沢賢治 アザリア記念会 会長
乾杯!
まほら岩手のスタッフ 竹嶋様より施設と料理の説明
豪華なカニ料理
ピザ
行者にんにくをトッピングしたラム肉
外山名物:外山そば
ビールを飲みながら歓談タイム
【スピーチ】鈴木一夫 様
元盛岡司会議員・外山御料牧場開拓研究会副会長
【スピーチ】千葉伝 様
岩手県議会議員、岩手県馬事振興会会長、岩手県獣医師会顧問
【スピーチ】林風舎 宮澤和樹 様(宮沢賢治のご親族)
民謡 外山節の披露
歌い手:民謡全国大会チャンピオン 鳴海ミヨ様
三味線演奏者 竹田俊光様
チャグチャグ馬コの登場「ゆうゆう」と「りん」ちゃん
玉山民謡保存会とチャグチャグ馬コ同好会矢巾支部とのコラボ
【中締め】三浦忠二 様(伊藤勇雄 顕彰会 会長)
【主催者お見送り】池上理恵 様
【主催者お見送り】横沢高徳 様(衆議院議員)
倉原宗孝 様(岩手県立大学教授)とお手伝いしてくれた学生さん
【参席者への贈答品 1】お米2キロ、外山の歴史資料とCD
【参席者への贈答品 2】薮川の恵みセット
ご出席、ありがとうございました。
歌碑に込めた思い
この歌碑には、三つの思いを込めています。
先人への感謝。
牛馬への慰霊と鎮魂。
そして、未来への平和と共生の願い。
明治9年に始まった外山牧場の歴史は、一つの牧場だけの歴史ではありません。獣医学、農業教育、馬事、畜産、開拓、産業、文化。そして宮沢賢治をはじめ、この地を訪れた多くの人々へとつながる、岩手の近代史の一つです。外山牧場は、獣医学や農業教育の拠点を生み、その後の馬事・畜産振興や地域社会の発展にも大きく関わってきました。
そして、その歴史の中には、光だけではなく、忘れてはならない多くの苦難と犠牲もありました。だからこそ、150年の節目に石碑という形で歴史を残すことには意味があると考えました。
「夢の跡」で終わらせたくなかった
外山の歴史を調べ、伝える活動を続けてきた原点には、「自分のふるさとが、誤解されたまま忘れられていくのを、そのままにしておけない」という思いがありました。かつて華やかな牧場があり、多くの人や馬が行き交い、確かに歴史があった。しかし、その姿はほとんど消え、跡さえ分からなくなっている。松尾芭蕉の「夏草や 兵どもが 夢の跡」という句が、外山そのもののように感じられました。
「夢の跡」で終わらせたくなかった。
外山を守りたかった。
長年続けてきた活動の節目に、外山開牧150周年を迎え、歌碑を建て、牛馬を鎮魂し、関係してくださった多くの方々と歴史を共有することができました。これは一人の思いだけで実現したものではありません。外山で生きた先人たち、歴史を残してくださった先生方、そして今回力を貸してくださった皆様の思いが重なって、ようやく形になったものです。
150年から、その先へ
明治9年(1876)に開かれた外山牧場。そこから150年の歳月が流れました。時代とともに名称や運営組織は変わりましたが、外山で始まった馬事・畜産の営みは、形を変えながら今日まで受け継がれています。
歌碑建立は、150年の歴史の終着点ではありません。この碑を一つの道標として、外山の歴史を次の50年、100年へ伝えていくこと。そして、外山の歴史を知った人がこの地を訪れ、先人たちの歩みや牛馬の命、宮沢賢治が見た外山の風景に思いを寄せてくれること。それが、この記念事業の本当の願いです。
外山の歴史を、次の世代へ。
ご協力いただいた皆様へ
本事業の開催ならびに記念歌碑建立にあたり、多くの皆様からご理解、ご協力、ご助言をいただきました。長年にわたり外山の歴史を守り伝えてこられた皆様、馬事・畜産関係者、宮沢賢治・保阪嘉内関係者、地域の皆様、関係団体・企業、行政・教育機関、そして当日ご参列いただいた皆様に、心より御礼申し上げます。
皆様のお力によって、この150年の歴史を一つの形として未来へ残すことができました。
一般社団法人 外山御料牧場開拓研究会代表 中村辰司



































































