⑨ 歴史が封印された理由

宮沢賢治と外山牧場 外山御料牧場の歴史が封印された理由 マッカーサー

大日本帝国敗戦 GHQによる改革

敗戦後の日本はアメリカを主体とする連合国軍総司令部(GHQ)の占領を受けることになった。マッカーサーを司令官とするGHQは日本の民主化を図りさまざまな改革を実施した。治安維持法を廃止し、軍隊を解散させた。

また農地改革を実施、不在地主の土地を買い上げ、小作農に安く払い下げ、多数の自作農を生んだ。1946年日本国憲法が公布された。日本側の草案の多くは旧憲法と大差のないものであったため、GHQ自らが起草したものであった。主権は国民にあるとし、天皇は象徴として国政に関する権能を持たないこととされた。基本的人権は公共の福祉に反しない限り尊重されるとし、第九条では戦争の放棄と戦力の不保持が記された。選挙法も改正され、婦人参政権が認められた。

大日本帝国憲法と日本国憲法の比較

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大日本帝国憲法日本国憲法
主權天皇主權国民主權
戦争天皇に統帥権、臣民(天皇あっての国民)に兵役義務戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認
国民の権利臣民としての権利、法律の範囲での保障、自由権的基本權基本的人権を尊重、社会権的基本権も含む
国会天皇の協賛機関、二院制、衆議院のみ選挙国権の最高機関、唯一の立法機関、衆参両院とも選挙で選ばれる、国政調査権あり
內閣天皇の輔弼機関、国務大臣は天皇に責任を負う最高の行政機関、議院内閣制、国会に責任を負う
裁判所天皇の名において行う、違憲立法審査権なし、特別裁判所の設置司法権の独立、違憲立法審査権あり、特別裁判所廃止、最高裁判所の国民審査あり
憲法改正天皇の発議(勅令)、帝国議会の議決国会の発議、国民投票

第二次世界大戰後 馬匹は「戦場の活兵器」

戦後における馬政

戦前における馬産は、軍用馬生産を目的とし、その改良増殖のために行われたので、終戦とともに 産業一途に切り替えられた。また、占領軍(GHQ)の要請により、国内の諸制度は根本的に改革されたが、馬政上についても、大変革が行われた。

(ア)馬政局が廃止、畜産局の一分課となった。
(イ) 種馬牧場及び種馬所が廃止、一部は他の家畜とともに種畜牧場に改められ、 種馬派遣種付 事業は廃止。
(ウ) 日本馬事会は、中央馬事会に改組。(昭17.1.14 設立、同21.3.2 解散)
(エ)鍛錬馬競走は廃止、地方競馬法の競走になった。(昭21.11.20、法律第57号)
(オ)官民牧野は農地に開放された。
(カ)軍馬資源保護法、種馬統制法及び馬匹去勢法等は廃止、新たに種畜法が制定。(昭23. 7.12、法律第155号)
(キ) 日本馬事協会の後継団体たる中央馬事会、都道府県馬匹連合会、馬匹組合等がすべて解散。(昭23.7.15、法律第166号)
(ク) 従来の競馬法による競馬及び地方競馬法による競馬は廃止、新たに競馬法が制定、国営競馬と地方競馬の2種となった。(昭23.7.13、法律第158号)
(ケ)国有種雄馬は極度にその数を減らした。
(コ) 家畜市場法は廃止。(昭23.12.4、法律第236号)
(サ) 獣医師及び装蹄師の強制加入団体である都道府県獣医師会及び装蹄師会、並びに、その中央団体である日本獣医師会及び装蹄会が解散。
(シ)その他、馬に関する文献、資料等は努めて煙滅を図った。

以上のように、10指に余るものがあるが、戦後におけるわが国の馬産は、制度上の変更を余儀なくされ 国有種雄馬の減少、種馬所の廃止、官民牧野の農地開放、馬事中央及び地方団体の解体、文献・資料(これまでに蓄積した貴重な記録)の煙滅等の打撃は深刻でした。国の施策として食糧増産が取り上げられ、馬のことを口に出すことすら非国民扱いにされ、生産はもちろん研究に至るまでかなりの制約を受けました。

外山御料牧場を岩手県民が知らない理由

Reason
現人神の天皇

戦前の天皇陛下は、現人神であられた

Reason
宮内省は、天皇と直結

明治時代の宮内省は、天皇と直結。内閣からは独立運営・管理・情報・資料等、全てが宮内省が管理

Reason
関係者以外立ち入り禁止

関係者(県知事・馬事関係)以外、場内立ち入り禁止

Reason
守秘義務

牧場内で働いていた外山住人には「守秘義務」が課せられる

Reason
大正時代に閉鎖

大正時代に外山御料牧場のみ閉鎖

Reason
GHQの指導(馬事、他言無用)

第二次世界大戦後、GHQの指導で馬事関連は兵器とみなされ資料が破棄。馬事関係者は口を閉ざす

3つの御料牧場のうち「外山御料牧場」だけが、場所はおろか業績も何もかも封印され、日本の表舞台から消失。だから岩手県民は、戦後の外山しか知らない。

終戦後の外山関連 年表

昭和19年(1944)●6月 中央政府の高官が来県。食糧増産が急務の状況で未利用地活用運動展開
昭和20年(1945)●3月9日~3月10日 東京大空襲
●4月1日 アメリカ軍が沖縄本島に上陸
◆4月 県令の外山1000町歩の緊急開墾発令。食糧増産隊と学生動員の集団開墾を開始。大豆、ソバ、馬鈴薯を作付け。
・5月 外山高原一帯の笹に花が咲く。
●5月7日 ドイツが無条件降伏
●5月25日~5月26日 空襲で東京都内大半焼失、以降各地の都市に来襲
◆8月初旬 作付けの大豆、ソバ、馬鈴薯は霜害で作物全滅。
●8月6日 広島に原子爆弾投下 ●8月9日 長崎に原子爆弾投下 ●8月14日 ポツダム宣言受諾 ●8月15日天皇「終戦の詔書」を放送終戦 ●9月2日 降伏文書に調印 ●9月~GHQは占領政策発令 ◆9月 GHQ岩手軍政部設置。初代部長シェーファード中佐が政策指導と監視にあたる。●11月 政府は「緊急開拓事業実施要領」を決定
昭和21年(1966)◆GHQの占領政策「馬政改革」と「農地改革」。東北種馬育成所及び岩手種馬所廃止。岩手牧場として整備統合。一部は他の家畜とともに種畜牧場に改められ、種馬派遣種付事業は廃止。・官民牧野は農地に開放 ●11月3日 日本国憲法公布