外 山 詩 群
六九
〔どろの木の下から〕
一九二四、四、一九、
どろの木の下から
いきなり水をけたてゝ
月光のなかへはねあがったので
狐かと思ったら
例の原始の水きねだった
横に小さな小屋もある
粟か何かを搗くのだらう
水はたうたうと落ち
ぼそぼそ青い火を噴いて
きねはだんだん下りてゐる
水を落してまたはねあがる
きねといふより一つの舟だ
舟といふより一つのさじだ
ぼろぼろ青くまたやってゐる
どこかで鈴が鳴ってゐる
丘も峠もひっそりとして
そこらの草は
ねむさもやはらかさもすっかり鳥のこゝろもち
ひるなら羊歯のやはらかな芽や
桜草(プリムラ)も咲いてゐたらう
みちの左の栗の林で囲まれた
蒼鉛いろの影の中に
鍵なりをした巨きな家が一軒黒く建ってゐる
鈴は睡った馬の胸に吊され
呼吸につれてふるえるのだ
きっと馬は足を折って
蓐草の上にかんばしく睡ってゐる
わたくしもまたねむりたい
どこかで鈴とおんなじに啼く鳥がある
たとへばそれは青くおぼろな保護色だ
向ふの丘の影の方でも啼いてゐる
それからいくつもの月夜の峯を越えた遠くでは
風のやうに峡流も鳴る
一七一
水源手記
一九二四、四、一九、
しかつめらしい同僚(なかま)のやつらをけとばして
なんといふいゝとこにおれは来たのか
このゆるやかな準平原の春の谷
かれくさや潅木のなだらを截る
うつくしい月夜の小流れの岸だ
けれどもが向ふにしたところで
けとばされたと思ってゐない
日誌もとにかくこさえて来たし
肥料試験の札もとにかく立派立てて来た
たゞもう早くこいつらの居ないところへ
行かうと急いだだけなのだ
あれからみんな帰って行って
威厳たっぷりライスカレーを食って寝たり
床屋に行って髪を刈ったり
とにかくみんな
おかみさんもあればこどももばあとか云ってゐる
しづかな春の土曜日なのだ
それでいゝのだしゃぽをそらに抛げあげろ
ところがそらは荒れてかすんだ果樹園だ
そこからしゃっぽが黒く落ちてくる
それから影は横から落ちる
受けてやらうか
こんどはおれが影といっしょにコサックになる
しゃっぽをひろへ
みずがころころ鳴ってゐる
わあ どうだ いゝところだ
いま来た角に
やまならしの木がねむってゐる
雄花もみんなしづかに下げてねむってゐる
そんならここへおれもすはらう
銀の鉛筆、青じろい風
熟した巻雲のなかの月だ
一梃の白い手斧が
水のなかだかまぶたのなかだか
ひどくひかってゆれてゐる
ミーロがそらのすももばやしではたらいてゐて
ねむたくなっておとしたのだらう
風…とそんなにまがりくねった桂の木
低原(のはら)の雲は青ざめて
ふしぎな縞になってゐる
もう眼をあいて居れないよ
ちょっと事件がありました
めんだうくさい溶けてしまはう
このうゐきゃうのかほりがそれだ
…コサック…
…コサック…
…コサック…兵…がみなポケットに
薄荷をもって
… … …駐屯…
… … …駐屯…
…駐屯…する
する…
、風…骨、青さ、
どこかで 鈴が鳴ってゐる
峠の黒い林のなかだ
二人の童子
赤衣と青衣…それを見るのか
かんがへるのか…
どれぐらゐいまねむったらう
青い星が一つきれいにすきとほって
雲がまるで臘で鋳たやうになってゐるし
落葉はみんな落した鳥の羽に見える
おれはまさしくどろの木の葉のやうにふるえる
七三
有 明
一九二四、四、二〇、
あけがたになり
風のモナドがひしめき
東もけむりだしたので
月は崇厳なパンの木の実にかはり
その香気もまたよく凍らされて
はなやかに錫いろのそらにかゝれば
白い横雲の上には
ほろびた古い山彙の像が
ねづみいろしてねむたくうかび
ふたたび老いた北上川は
それみづからの青くかすんだ野原のなかで
支流を納めてわづかにひかり
そこにゆふべの盛岡が
アークライトの点綴や
また町なみの氷燈の列
ふく郁としてねむってゐる
滅びる最后の極楽鳥が
尾羽をひろげて息づくやうに
かうかうとしてねむってゐる
それこそここらの林や森や
野原の草をつぎつぎに食べ
代りに砂糖や木綿を出した
やさしい化性の鳥であるが
しかも変らぬ一つの愛を
わたしはそこに誓はうとする
やぶうぐひすがしきりになき
のこりの雪があえかにひかる
七四
〔東の雲ははやくも蜜のいろに燃え〕
一九二四、四、二〇、
東の雲ははやくも蜜のいろに燃え
丘はかれ草もまだらの雪も
あえかにうかびはじめまして
おぼろにつめたいあなたのよるは
もうこの山地のどの谷からも去らうとします
ひとばんわたくしがふりかヘりふりかヘり来れば
巻雲のなかやあるひはけぶる青ぞらを
しづかにわたってゐらせられ
また四更ともおぼしいころは
やゝにみだれた中ぞらの
二つの雲の炭素棒のあひだに
古びた黄金の弧光のやうに
ふしぎな御(み)座を示されました
まことにあなたを仰ぐひとりひとりに
全くことなったかんがへをあたへ
まことにあなたのまどかな御座は
つめたい火口の数を示し
あなたの御座の運行は
公式にしたがってたがはぬを知って
しかもあなたが一つのかんばしい意志であり
われらに答へまたはたらきかける、
巨きなあやしい生物であること
そのことはいましわたくしの胸を
あやしくあらたに湧きたゝせます
あゝあかつき近くの雲が凍れば凍るほど
そこらが明るくなればなるほど
あらたにあなたがお吐きになる
エステルの香は雲にみちます
おゝ天子
あなたはいまにはかにくらくなられます
七五
浮世絵 北上山地の春
一九二四、四、二〇、
一、
かれ草もかげらふもぐらぐらに燃え
雲滃がつぎつぎ青く綾を織るなかを
女たちは黄や橙のかつぎによそひ
しめって黒い廐肥をになって
たのしくめぐるくいちれつ丘をのぼります
かたくりの花もその葉の斑もゆらゆら
いま女たちは黄金のゴールを梢につけた
年経た粟のそのコバルトの陰影にあつまり
消え残りの鈴木春信の銀の雪から
燃える頬やうなじをひやしてゐます
二、
風の透明な楔形文字は
暗く巨きなくるみの枝に来て鳴らし
また鳥も来て軋ってゐますと
わかものたちは華奢に息熱い
純血種(サラーブレッド)に
水いろや紺の羅紗を着せて
やなぎは蜜の花を噴き
笹やいぬがやのかゞやく中を
泥灰岩の稜を噛むおぼろな雪融の流れを溯り
にぎやかな光の市場
その上流の種馬検査所に連れて行きます
三
いそがしい四十雀のむれや
また裸木の蒼い条影
水ばせうの青じろい花
ぬるんだ湯気の泥の上には
ひきがへるがつるんだまゝで這ひ
風は青ぞらで鳴り
自然にカンデラーブルになった白樺があって
その梢には二人の子供が山刀を鳴らして
巨きな枝を切らうとします
小さなこどもらは黄の芝原に円陣をつくり
日のなかに烏を見やうとすれば
ステップ住民の春のまなざしをして
赤いかつぎの少女も枯草に座ってゐます
七五
北上山地の春
一九二四、四、二〇、
1
雪沓とジュートの脚絆
白樺は焔をあげて
熱く酸っぱい樹液を噴けば
こどもはとんびの歌をうたって
狸の毛皮を収穫する
打製石斧のかたちした
柱の列は煤でひかり
高くけはしい屋根裏には
いま朝餐の青いけむりがいっぱいで
大迦藍(カセードラル)のドーム(穹窿)のやうに
一本の光の棒が射してゐる
そのなまめいた光象の底
つめたい春のうまやでは
かれ草や雪の反照
明るい丘の風を恋ひ
馬が蹄をごとごと鳴らす
2
浅黄と紺の羅沙を着て
やなぎは蜜の花を噴き
鳥はながれる丘丘を
馬はあやしく急いでゐる
息熱いアングロアラヴ
光って華奢なサラーブレッド
風の透明な楔形文字は
ごつごつ暗いくるみの枝に来て鳴らし
またいぬがやや笹をゆすれば
ふさふさ白い尾をひらめかす重挽馬
あるひは巨きなとかげのやうに
日を航海するハックニー
馬はつぎつぎあらはれて
泥灰岩の稜を噛む
おぼろな雪融の流れをのぼり
孔雀の石のそらの下
にぎやかな光の市場
種馬検査所へつれられて行く
3
かぐはしい南の風は
かげらふと青い雲滃を載せて
なだらのくさをすべって行けば
かたくりの花もその葉の斑も燃える
黒い廐肥の籠をになって
黄や橙のかつぎによそひ
いちれつみんなはのぼってくる
みんなはかぐはしい丘のいたゞき近く
黄金のゴールを梢につけた
大きな栗の陰影に来て
その消え残りの銀の雪から
燃える頬やうなじをひやす
しかもわたくしは
このかゞやかな石竹いろの時候を
第何ばん目の辛酸の春に数へたらいゝか