エンドリウ・マッキノン

アンドリュウー マッキノン

エンドリウ・マッキノンの功績

三沢市先人記念館より

スコットランド生まれの英国農民で明治十年五月、岩手県に農業教師として招聘され、外山牧場の開墾に従事、かたわら同牧場に設置された獣医学舎の農牧教師もつとめた。外山に来場されるまでの同氏の消息についてはだいたい次のとおり。

マッキノンはかつて駒場農学校農業現術生(のちの実科)の教師だったところ、外人教師連中の反目の結果、ペクペイという米人教師といっしょに札幌農学校にまわされた。

しかし、そこでも折り合いが悪く、しばらく青森県の広沢牧場に滞在していたところを岩手県に招聘された。これについて一説では、青森県人と二人で会社を組織し、同県谷地頭において開墾事業に従事していたともいわれる。その辺、多少食いちがいがあるが、いずれにしても青森県におったことは変わりがないので、そこから外山に来場したことになる。

外山牧場においては着任以来、三年有余にわたり事業の推進に尽し、多大の成果を挙げ、明治十三年七月退職、同年秋帰国の途についた。彼の帰国に際し、県から慰労金と記念品並びに賞状が贈られた模様で、次のような開係文書が県庁に保存されている。

英人マッキノン三賞状御附与之儀(明治十三年七月二十四日落稿)
今般英人マッキノンへ慰労金並鉄瓶弐箇御贈与相成候付猶本人帰国ニ及ンテ一層之名誉相成候間左案之賞状相添御給与可然乎此段相伺候也


一、金弐百円
一、岩手県小泉仁左エ門鋳造鉄瓶弐個
明治十年五月農業教師トシテ雇入以来本月至ルマテ三年有余之間能ク其職ニ勉メ生徒モ大進追テ管内ノ農事ニモ幾分ノ効験生スヘク実感喜之至ニ候仍テ聊カ其労ニ報ユル為メ前書ノ通寄贈候也

岩手県小泉仁左エ門鋳造鉄瓶弐個
明治十年五月農業教師トシテ雇入以来本月至ルマテ三年有余之間能ク其職ニ勉メ生徒モ大進追テ管内ノ農事ニモ幾分ノ効験生スヘク実感喜之至ニ候仍テ聊カ其労ニ報ユル為メ前書ノ通寄贈候也

大日本帝国岩手県令 島 惟精

大下列顚帝国人
ヱンドリウ・マッキノン殿