菜園地区
岩手競馬の歴史は古く、藩政時代から各地の神社境内の直線馬場で奉納競馬として始められたといわれています。
競馬場の原型としては、今から130年以上も前の1871年(明治4年)に盛岡市の菜園地区に1000メートルの楕円競馬場が新設され、生産地競馬としてスタートしたといわれています。
1886年(明治19年)には、この菜園競馬場で横浜、東京に次いで3番目に洋式競馬が開催されました。この菜園の競馬場は、1903(明治36)年に県産馬組合連合会の手によって盛岡・上田に移転します。
農学校
1879年(明治12年) 8月12日 | 岩手郡藪川村外山牧場内に「獣医学舎」が開校 |
1888年(明治21年) 4月 | 盛岡内丸に「岩手県農事講習所」が開校 |
1899年(明治32年) 4月 | 岩手県農事講習所と獣医学校を統合し、盛岡菜園に移転の上「岩手県農学校」が開校。 |
1901年(明治34年) 6月 | 「岩手県立農学校」と改称(県の後に「立」が加えられる) |
1923年(大正12年) 4月 | 「岩手県立盛岡農学校」と改称。 |
明治時代の開校創立順
① 県立盛岡農業高 | 明治12年 岩手郡薮川村外山牧場内に獣医学舎として創設 |
② 県立盛岡一高 | 明治13年 本校を設立し岩手中学と称す。開校式挙行 |
③ 私立盛岡白百合学園高 | 明治25年 私立盛岡女学校として開校 |
④ 県立盛岡二高 | 明治30年 市立盛岡高等女学校として創立 |
④ 県立盛岡商業高 | 明治30年 一戸隆次郎氏私立盛岡商業学校を鍛冶町学校の一室を借りて創る |
④ 県立盛岡工業高 | 明治30年 岩手県実業学校設立の件文部大臣より認可 |
旧盛岡高等農林学校
旧盛岡高等農林学校は大正元年に建てられた近代洋風建築です。現在でも竣工当時の姿を留め、現存する数少ない国立専門学校施設という点から国重要文化財に指定されています。旧盛岡高等農林学校は木造2階建て、寄棟、スレート葺きで、屋根には棟飾りが付いています。外壁は下見板張りで、建具廻りなど外壁押さえを効果的に配し、色彩を変える事で外観を単調にならないような工夫が見られます。
窓は縦長の上げ下げ窓を採用し、建物から張り出た玄関上部をバルコニーにして手摺を廻すなど洋風建築の要素があり、玄関の2階屋根は妻面を正面にして意匠を凝らすなど建物全体の正面性を出しています。又、宮沢賢治もここで6年間学んだとされ、現在は岩手大学農学部附属農業教育資料館となっています。