外山と宮沢賢治 関連年表 3

外山と宮沢賢治 関連年表 3

大正5年(1916)~昭和8年(1933)

●世界及び国内情勢 ◆岩手県情勢 ・外山関連

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年号外山関連宮沢賢治
大正5年(1916)・外山分場の派出所(吉与酒店)を盛岡市に設立。事務所から同派出所・各厩舎へ電話を架設・4月、盛岡高等農林学校農学科第二部に保阪嘉内入学。自啓寮で賢治と同室となる
■5月初旬の土曜日の午後、友人高橋秀松と北上山地探訪で姫神の下から登り一泊した様子の作品。短編「丹籐川」・関西方面修学旅行で初めて上京
大正6年(1917)・下の橋際の玉井郷方家に弟静六と下宿。・7月、同人誌「アザリア」創刊。
大正7年(1918)・蛇塚に事務所(白亜の洋館)を新設 ●7月 第一次世界大戦終結 ●原敬内閣出現・盛岡高等農林卒業・研究生となる ・童話を書き、弟妹に聞かせる ・12月、入院したトシの看病の為、上京
大正8年(1919)・3月、退院したトシとともに帰郷
大正9年(1920)・5月、盛岡高等農林学校研究生修了 ■友人保阪嘉内への手紙。外山の4月のうた 短歌3首
大正10年(1921)●原敬首相、東京駅で暗殺・1月、家出し上京(8月中旬花巻に戻る)。・12月、花巻に戻り稗貫農学校教論となる。(県立花巻農学校の前身)
大正11年(1922)・11月 政府の行政整理により、「下総御料牧場外山支場」を廃止 ・12月 外山支場は岩手県に移管。「岩手県外山種畜場」として発足・心象スケッチ「くらかけの雪」「小岩井農場」など書く ・11月 妹トシ死去
大正12年(1923)・2月 岩手県種畜場事務所本場を外山へ移転。滝沢は分場となる ◆山田線開通(上米内駅まで) ●9月 関東大震災・北海道・樺太旅行に出発
大正13年(1924)・4月20日 岩手県外山種畜場にて種馬検査実地(検査区域・薮川村・玉山村・米内村)●外山詩群(池上雄三氏実証) 4月19日~20日にかけ盛岡から外山種畜場へ出向いたときに創作された心象スケッチ ■4月19日 ①「どろの木の下から」②「水源手記」■4月20日 ③「有明」 ④「東の雲ははやくも蜜のいろに燃え」 ⑤「北上山地の春」 ・4月20日 詩集「春と修羅」出版 ・12月イーハトヴ童話集「注文の多い料理店」を出版
大正14年(1925)・3月 足澤勉氏が岩手県種畜場場長として着任 外山神社と牛馬魂碑を細越山上に設立 ・8月17日を例祭日とし第1回の祭典を挙行 駒踊りを大野村より移入・森佐一編集「貌」、草野心平編集「銅鑼」の同人となる
大正15年(1926)昭和元年●12月 大正天皇崩御・3月、花巻農学校を退職。花巻市下根子桜で農耕自炊の生活を始める。・11月、羅須地人協会を設立
昭和3年(1928)・8月、急性肺炎の為自宅療養
昭和6年(1931)・12月 外山用地の一部を帝室林野局に返還、残部を県に無償譲与する ●満州事変勃発 ・2月、東北砕石工場技師となる ・11月、「雨ニモマケズ」を書く
昭和7年(1932)・種雄馬派遣業務を縮小し、貸付業務開始・3月、童話「グスコープドリの伝記」を発表
昭和8年(1933)
・病床で童話や詩の推稿を続ける。・9月21日37歳 午後1時30分死去。父への遺言により国譯妙法蓮華経を知友に贈る

●参考資料:三浦定夫氏編集『外山開牧百年史』/池上雄三氏著書『宮澤賢治 心象スケッチを読む』/岩手競馬組合編集・発行「いわての競馬史」成田市発行「三里塚御料牧場」・「三里塚記念公園」パンフ/盛岡市発行「啄木賢二記念館」パンフより引用