2024年– date –
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外山牧場と宮沢賢治
心象スケッチ 5編(外山詩群)
外 山 詩 群 六九〔どろの木の下から〕一九二四、四、一九、 どろの木の下からいきなり水をけたてゝ月光のなかへはねあがったので狐かと思ったら例の原始の水きねだった... -
外山牧場と産業
A.馬事文化を巡る外山探訪 5
黄金(こがね)競馬場 岩手県産馬組合連合会が長い年月をかけ、各郡の代表や馬産関係の篤志家に呼びかけて競馬会の創設を実現、寄付を募って明治36年盛岡市上田に「近代... -
外山に訪れた歌人
伊藤 勇雄
伊藤 勇雄【いとう いさお】1898~1975 明治三十一年薄衣生まれ。武者小路実篤の「新しき村」に参加。 帰村後は「岩手文芸」等を創刊し詩作に励む。 千葉七郎と農民運動... -
外山牧場と宮沢賢治
賢治と外山(池上雄三)
外山は盛岡から東北へ24キロ離れた北上山地の高原である。起伏にとんだ地形、至る所に流れる清流、伝染病が少ない等、放牧地として最適の土地だった。明治24年から大正1... -
外山に訪れた歌人
佐伯 郁郎
佐伯 郁郎【さえき いくろう】1901~1992 明治三十四年江刺郡米里村人首に生まれ。本名は慎一。 旧制盛岡中学、早稲田大学文学部仏文科を卒業後、内務省警保局図書課に... -
外山牧場と宮沢賢治
蒼冷と純黒(宮沢賢治の戯曲)
〔冒頭欠〕たいエゴイストだ。たゞ神のみ名によるエゴイストだと、君はもう一遍、云って呉れ。さうでなくてさへ、俺の胸は裂けやうとする。 純黒 俺の胸も裂けやうとす... -
外山牧場と産業
B.外山神社と芸能
外山神社と牛馬魂碑設立、駒踊りの移入 外山部落は三〇余年間、宮内省が経営していたところで、四十三戸の住居者のほかに民家もあるけれども、子供たちが生れても初詣で... -
外山牧場と宮沢賢治
春と修羅(小岩井農場)
心象スケツチ『春と修羅』大正11~12年 小岩井農場 パート一わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりたそのために雲がぎらつとひかつたくらゐだけれどももつとはやいひ... -
外山牧場と産業
C.岩手の馬事に貢献した先人達 1
一條 牧夫(いちじょう まきお) 安政5年(1858)~昭和13年(1938) 安政5年(1858)岩手郡東中野村(現:盛岡市東中野)に生まれる。明治5年(1872年)15歳で上京。後に駒場農学校... -
外山牧場と宮沢賢治
羅須地人協会と花園農園
宮沢賢治 農民芸術概論綱要 羅須地人協会 賢治は下根子の別宅を改造して羅須地人協会の看板を掲げ、一農民として畑仕事に精を出しました。夜には、 農民を集めて農業の... -
外山牧場と宮沢賢治
軍馬補充部主事
旧陸軍省軍馬補充部六原支部 明治31年(1898)、現在の金ケ崎町六原地区に旧陸軍省軍馬補充部六原支部(現在の岩手県立農業大学校)が設置されました。当時の相去村村長、桑... -
外山牧場と産業
C.岩手・盛岡の馬事文化
チャグチャグ馬コ 外山御料牧場電話室ガラス戸 大正時代 盛岡市 吉田久平氏蔵 農耕馬に感謝する200年以上に及ぶ伝統行事で、色鮮やかな装束で着飾った100頭程の馬と馬主...