2024年– date –
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保阪嘉内宛て手紙「外山の4月」
若き日の一通の手紙 賢治がどんなに外山を愛していたかは、友人、保阪にあてた手紙を読むとわかる。それとともに、賢治がどんなに保阪を大事にしていたかも、その手紙か... -
A.馬事文化を巡る外山探訪 4
岩手公園 明治維新後、盛岡城は廃城となり様々な建物が取り壊しあるいは移築され、城内の施設はなくなりましたが、盛岡城は、建造物が取り壊されてから荒廃が進んでおり... -
外山節(臼澤みさき)
臼澤みさきが歌う外山節 岩手には、多くの民謡や音楽、芸能が伝承されています。それは、厳しい自然の中で働き、暮らしを営んできた先人たちの喜怒哀楽や祈りの結晶であ... -
南部牛追唄(福田こうへい)
福田こうへいが歌う南部牛追唄 岩手県出身の歌手。2012年に民謡民舞全国大会の成年部で優勝し、民謡日本一に輝く。23歳から民謡に取り組み、36歳のときに「南部蝉しぐれ... -
藤波 言忠
藤波 言忠【ふじなみ ことただ】1853~1926 明治時代の華族(旧公家)、子爵。 明治天皇側近。京都生まれ。広橋胤保の子。藤波教忠の養子。 天皇の学友として七、八歳のこ... -
心象スケッチ 5編(外山詩群)
外 山 詩 群 六九〔どろの木の下から〕一九二四、四、一九、 どろの木の下からいきなり水をけたてゝ月光のなかへはねあがったので狐かと思ったら例の原始の水きねだった... -
A.馬事文化を巡る外山探訪 5
黄金(こがね)競馬場 岩手県産馬組合連合会が長い年月をかけ、各郡の代表や馬産関係の篤志家に呼びかけて競馬会の創設を実現、寄付を募って明治36年盛岡市上田に「近代... -
伊藤 勇雄
伊藤 勇雄【いとう いさお】1898~1975 明治三十一年薄衣生まれ。武者小路実篤の「新しき村」に参加。 帰村後は「岩手文芸」等を創刊し詩作に励む。 千葉七郎と農民運動... -
賢治と外山(池上雄三)
外山は盛岡から東北へ24キロ離れた北上山地の高原である。起伏にとんだ地形、至る所に流れる清流、伝染病が少ない等、放牧地として最適の土地だった。明治24年から大正1... -
佐伯 郁郎
佐伯 郁郎【さえき いくろう】1901~1992 明治三十四年江刺郡米里村人首に生まれ。本名は慎一。 旧制盛岡中学、早稲田大学文学部仏文科を卒業後、内務省警保局図書課に... -
蒼冷と純黒(宮沢賢治の戯曲)
心友 宮沢賢治と保阪嘉内 - 花園農村の理想をかかげて - 大明 敦【編著】/保阪 善三/保阪 庸夫【監修】より「あとがき」抜粋 あとがき(蒼冷と純黒をめぐって) 保阪庸... -
B.外山神社と芸能
外山神社と牛馬魂碑設立、駒踊りの移入 外山部落は三〇余年間、宮内省が経営していたところで、四十三戸の住居者のほかに民家もあるけれども、子供たちが生れても初詣で...