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賢治と外山(池上雄三)
外山は盛岡から東北へ24キロ離れた北上山地の高原である。起伏にとんだ地形、至る所に流れる清流、伝染病が少ない等、放牧地として最適の土地だった。明治24年から大正1... -
佐伯 郁郎
佐伯 郁郎【さえき いくろう】1901~1992 明治三十四年江刺郡米里村人首に生まれ。本名は慎一。 旧制盛岡中学、早稲田大学文学部仏文科を卒業後、内務省警保局図書課に... -
蒼冷と純黒(宮沢賢治の戯曲)
心友 宮沢賢治と保阪嘉内 - 花園農村の理想をかかげて - 大明 敦【編著】/保阪 善三/保阪 庸夫【監修】より「あとがき」抜粋 あとがき(蒼冷と純黒をめぐって) 保阪庸... -
B.外山神社と芸能
外山神社と牛馬魂碑設立、駒踊りの移入 外山部落は三〇余年間、宮内省が経営していたところで、四十三戸の住居者のほかに民家もあるけれども、子供たちが生れても初詣で... -
春と修羅(小岩井農場)
心象スケツチ『春と修羅』大正11~12年 小岩井農場 パート一わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりたそのために雲がぎらつとひかつたくらゐだけれどももつとはやいひ... -
C.岩手の馬事に貢献した先人達 1
一條 牧夫(いちじょう まきお) 安政5年(1858)~昭和13年(1938) 安政5年(1858)岩手郡東中野村(現:盛岡市東中野)に生まれる。明治5年(1872年)15歳で上京。後に駒場農学校... -
羅須地人協会と花園農園
宮沢賢治 農民芸術概論綱要 羅須地人協会 賢治は下根子の別宅を改造して羅須地人協会の看板を掲げ、一農民として畑仕事に精を出しました。夜には、 農民を集めて農業の... -
軍馬補充部主事
旧陸軍省軍馬補充部六原支部 明治31年(1898)、現在の金ケ崎町六原地区に旧陸軍省軍馬補充部六原支部(現在の岩手県立農業大学校)が設置されました。当時の相去村村長、桑... -
C.岩手・盛岡の馬事文化
チャグチャグ馬コ 外山御料牧場電話室ガラス戸 大正時代 盛岡市 吉田久平氏蔵 農耕馬に感謝する200年以上に及ぶ伝統行事で、色鮮やかな装束で着飾った100頭程の馬と馬主... -
高洞山と宮沢賢治
上米内駅 上米内駅(かみよないえき)は、岩手県盛岡市上米内中居に位置するJR東日本山田線の駅です。大正12年(1923年)10月10日に開業し、現在は盛岡駅が管理する無人... -
宮沢賢治 聖地巡礼バスツアー
ご挨拶 このたびは、宮沢賢治が訪れた「外山牧場」をめぐるバスツアーにご参加いただき、誠にありがとうございました。宮沢賢治記念館の主催のもと、この特別なツアーを...