封印された外山の歴史
薮川外山には明治維新後の戊辰戦争から歴史が始まったのですが、歴史がありません。正確には消えてしまった時期(外山御料牧場時代の明治24年から大正11年)、消えたというより一般人に公開しない(政府と宮内省)為、ベールに包まれてしまったが正解です。その為、それ以前(明治維新~明治24年) の歴史があやふやになってしまいました。
今現在、岩手県民や盛岡市民の皆さんが認識している外山の歴史は、戦後GHQの要請により、馬に関する文献、資料等が強制的に煙滅された為、外山歴史は完全に消えてしまいました。
また、戦後行政が外山の気候風土を無視しきちんと調査せず強行的に推し進めた食糧開拓事業の失敗、植林事業の失敗の事実。資料が無い為、口伝えで作られた偽りの歴史、それが皆さん(子供の私を含め)が認識している外山の歴史です。
日本に三か所あった皇室の御料牧場。戦後まで運営されていた下総御料牧場と新冠御料牧場は、天皇陛下が現人神から象徴天皇になられた事で、ベールに包まれていた歴史がオープンになり一般の方も知ることが出来る環境となりました。
外山御料牧場も戦後まで運営していたならば、岩手県・盛岡市の政治・経済・産業・文化・芸術の歴史がつぎはぎだらけで、つじつまが合わないといった間違った歴史にはならなかったと思います。
南部岩手は「馬と牛の圀」
外山の歴史は、馬・牛の歴史と一心同体で運命共同体だった為、歴史が煙滅し消えてしまった結果…「馬」については、民俗芸能として残った「チャグチャグ馬っこ」と、賭け事(本当は違うよ)と認識している「競馬」、裕福な人が娯楽でやる「乗馬」ぐらい。「牛」に至っては、当たり前に食している肉や牛乳や加工食品の畜産は、北海道が発祥だろう!くらいで、現在の岩手や盛岡市民は、馬と牛の事を全く認識がない状態になっています。
と、偉そうなことを言っていますが、安心してください。全て探訪する前の私の事です。一般の方は知らなくて当たり前、知っていたら首が飛ぶほど大変なことになります。断っておきますが、私は歴史学者でも、宮沢賢治研究者でも、社会科の先生でもありません。ただの一般人でチョット変わったおじさんです。
明治維新以降、 西洋文化の先駆けとなった薮川外山。その事実を知らなくても今現在、生活に支障がないのでこのままで良いのかも知れません。ただ、大きな発展の機会を逃し続けていた事は間違ないと思っています。
宮沢賢治の一通の手紙から始まった私の歴史探訪
間違った外山の歴史を認識し信じている現在の人に、正しい歴史を説明しても年表も資料も無い為、否定され理解してもらう事が出来ない(三浦先生が先人)の難しさを思い知りました。
この歴史探訪は、いつの間にか「偽りの歴史」VS「正しい歴史」の構図になってしまい、膨大な歴史はお役所の担当者レベルで却下される内容だったかもしれません。ですが、私一個人で抱えられる事に限界を感じHP作成する事にいたりました。