ご協力者様一覧 1– ご支援、ご協力ありがとうございました! –

心の支えになった恩師

特に『宮沢賢治・心象スケッチを読む』の著書、元静岡英和学院大学人間社会学科教授 故池上雄三氏と、『外山開牧百年史』編纂された元岩手大学名誉教授 故三浦定夫氏にお会いできたことは、私の人生にとって大切な宝物です。お二人の書物が無ければ外山の歴史は解明できなかったと思います。命を懸け重要な書物を書きとどめて下さったこと、本当に感謝いたします。

故藤原艶子氏(藤原嘉藤治氏の御子息の奥様)と、故三浦幸子氏(三浦定夫氏の奥様)には貴重な資料提供と叱咤激励を賜っただけでなく、帰省時は私の妻 早知子と家族ぐるみで大変お世話になりました。艶子氏にお会いしたことで藤原嘉藤治氏伊藤勇雄氏の繋がりと戦後開拓をより深く知る事が出来ました。本当にありがとうございました。

故保阪庸夫氏(保阪嘉内氏の御子息)、初めての訪問にも関わらず妻ともども歓迎して頂き、嘉内と賢治について様々な事をお話して下さいました。嘉内宛て手紙「外山の4月」の撮影を許可して頂きありがとうございました。「外山の4月」の手紙の写真は閉校になるまで外山小学校来客出入口先の壁に飾らせていただきました。庸夫氏を外山にお連れするお約束でしたが、東日本大震災でお連れできなかったことが悔やまれます。

外山牧場 歴代場長ご親族

外山開牧百年史』に掲載されていた外山牧場の歴代場長のご親族となぜか偶然にも巡り合うことができた事で外山の歴史が鮮明になりました。以下、そのお会いした方々になります。

県営外山牧場場長

一條牧夫氏のご親族 一條八平太氏

外山御料牧場場長

新山莊輔氏のご親族 故新山昭輔氏 新山英輔氏 故田中宏氏 新山春一氏

岩手県種畜場長(第三代)

板垣耕三氏のご親族 故下田靖司氏

岩手県種畜場長(第四代)

足澤勉氏のご親族 故足澤至氏

ご協力、ありがとうございました!

歴代場長のご親族にお会いし、貴重な情報や数多くの資料・文献・写真等の提供とご協力を賜り、このホームページの大半を作成する事が出来ました。誠にありがとうございました。平成26年9月17日 歴代場長のご親族と「馬事産業の足跡をたどる」探訪が出来た事は、私にとりまして一生の思い出となりました。本当にありがとうございました。

一緒に活動し支えて下さった恩人

ご協力いただいた恩師
  • 御料牧場場長 獣医学博士新山莊輔氏 研究家(元成田市教育委員会三里塚記念館館長) 故 新島新吾氏

新島氏にお会いできた事で、日本の馬事・牧畜・農業の歴史を教えて頂き御料牧場の役割、私が疑問に思っていた「数多くの外山の謎」を悉く解いて下さっただけでなく、宮沢賢治童話に一石を投じ、新山莊輔氏の親族とお引合せして下さいました。

外山の歴史を表に引きずり上げてくれた恩人です。教えて頂くだけで何もお礼が出来ないままお別れした事が悔やまれます。ありがとうございました。

共に活動してくださった人たち
  • 公立大学法人 岩手県立大学 総合政策学部 教授 倉原宗孝氏
  • 元盛岡市市議会議員 鈴木一夫氏

私の調査結果を最後まで真摯に聞いて頂いた上に自費で下総御料牧場と新冠御料牧場に赴き、活性化団体として外山御料牧場 開拓研究会の立上げと調査にご協力いただきました。

自宅が茨城だった為、このお二人が居なければ地元外山の住人との再構築は出来なかったと思います。

  • フリーライターの博田伸樹氏

地方競馬発祥の地である岩手競馬存続の意味とうんちくを一方的に語り。膨大な地方競馬の資料を無理矢押付け。一條八平太氏と引き合わせてくれた強引さには感謝と脱帽です。

  • 文化地層研究会 金野万里氏

足澤至氏と引き合わせて頂いただけでなく、タウン誌『街もりおか』で、「知られざる外山牧場を探る―宮内省御料牧場の記憶を辿る旅」を企画し記事にて戴きました。

  • 元盛岡市市議会議員 故千葉健一氏

一條八平太氏が、私の活動を応援して下さり盛岡市市議会議員の千葉健一を紹介して頂きました。盛岡市が外山地区を活性化する上で何が出来るのか?の問いから予算かけず地元住人に負担がかからない観光事業が良いのではとの事で、千葉氏が盛岡市に働きかけ下さり薮川外山の文化・歴史・景観の観光事業計画のする事が出来ました。

本当にありがとうございました。ただ盛岡市の観光事業計画(2010年4月20日 岩手日報社掲載)では無く私の実地検証に協力しただけだった事が残念でなりません。

  • フリーライター(元毎日新聞社東京スポーツ部 記者) 有吉正徳氏

公益財団法人 馬事文化財団とのパイプを繋いで下さった上、様々な情報を提供して戴き三里塚桜まつり・宮内省に同行ました。

  • 文筆家 山本佳典氏(『羊と日本人』著者)

山本氏は千葉県三里塚に住み羊の歴史を追いかけていた折に、「馬事産業の足跡をたどる」探訪の新聞掲載を見て私に連絡をしてきました。それ以来、ご協力いただいています。

  • 伊藤(旧姓畠山) 和真氏

岩手県立大学 総合政策学部に在学中。倉原先生の下、岩手県地域振興課主催で開催された「草の根コミュニティー大学」の実地調査からのお付き合いで、外山・青森の廣澤牧場の視察に同行してもらいました。今回のホームページでも伊藤氏の卒業論文を引用させていただきました。卒業後も公私にわたりお付き合いさせて頂いています。

  • 葛西剛氏と細田芳彦氏

岩手県立盛岡工業高等学校時代の演劇部から付き合いで、演劇集団「夢羽」一座の立上げ。そして、外山活性化をどの様にすれば良いのか相談に乗ってもらい時には調査で行動を共にして頂いた心友の二人です。細田氏は藤原艶子氏と引き合わせてくれた恩人でもあります。

  • パソコンスクール むげん 小笠原功氏

今年の3月、本格的活動を再開する為、茨城県古河市から盛岡に戻ってきましたが、藤原艶子氏と三浦幸子氏のお二人から「本を書きなさい」「記録を残しなさい」と言われ自費で「馬と桜と宮沢賢治」と「外山牧場150年の功績」を出版する予定で打合せをしていた盛岡タイムスが今年3月に廃刊。

10年前、親の介護と妻の病気が発覚した事から外山の活動は一旦中止、盛岡に戻り全くのゼロからの再スタート。2年後の外山開牧150年をどうするのか?資料展示の目処もつかない状態でお預かりした資料をどうすればいいのか?10年以上、ネット社会とは無縁で情報を発信するにもラインもインスタもチンプンカンプン。モバイル難民の老人となり八方塞がりの状態。

6月に入り引越しの片付けを終え、思い悩みながら買物帰りに目に飛び込んできた「パソコンスクール むげん」の看板。取りあえずモバイル難民を何とか脱してホームページから情報発信をしよう!と門を叩きました。講師の小笠原先生は、私の現在の状況に耳を傾けて下さり、今後どのようにしたいのか?を聞いてきました。これまでの私のしてきた活動内容を最後まで聞いて頂き、活性化は無理かもしれないが外山の歴史の情報を発信したい旨をお伝えし、先生は真摯に受け止めて下さいました。

膨大な資料を整理しページ構成を考えて頂き、出版するために書き溜めていた原稿も加え、様々な技法で素晴らしいホームページを作成して下さいました。八方塞がりの私を救ってくれた恩人に巡り合えました。

  • 母 故中村ふく、義父 故北原宗次、そして妻 故中村早知子

母ふくは、父 新八が若くして死去。「乳飲み子であった私たち家族が外山で生きてこられたのは、外山の人達が助けてくれたからなので、外山に恩返しなければ」というのが口癖で、私の活動を応援してくれました。

千葉県浦安で生まれ。海で育ち若い頃は漁師をしていた義父の北原宗次は、妻である一人娘の早知子の影響を受け、初めて訪れた外山の景観に魅了され、以来外山に移住する事を夢見ていました。

宮沢賢治が外山に訪れていた事など知らない32年前の話です。平成3年10月28日入籍。中村家のお墓参りと父や私が育った場所に行きたいという事で11月の連休に帰省しました。私自身「ほいど村」の外山に連れて行くのは気が進まなかったのですが、父や私が育った場所をどうしても見てみたいと連れて行ったのが【岩洞湖周回「風の谷コース」】です。

テレビドラマ『北の国から』生活に憧れていた事で、外山の景観に魅了され白樺広がる自然の壮大な光景に感動し「まるで宮崎駿の映画の世界だね」と目を輝かせて語る妻の幸せそうな表情は今も記憶に鮮やかです。「観光地の日光より軽井沢より箱根よりすごいのに何で観光客が居ないの?」素朴な疑問に「大人の事情」としか答えられませんでした。私の前に現れた『外山ファン第1号』は妻早知子で、外山に向き合う機会を与えてくれました。

『池上雄三著書・宮沢賢治心象スケッチを読む』の衝撃を興奮し伝えた時、「やっぱり私の目に狂いはない」のドヤ顔でした。私にとって飲み友達でもあり、時には相談役で、藤原艶子氏と三浦幸子氏同様「外山の歴史は、外山だけではなく盛岡市・岩手・日本にとって重大な歴史」である事から、家の事は自分が賄うので、アナタの稼ぎは活動費にして最後までやり遂げるように言われました。

10年前、盛岡市役所の担当者より「薮川外山の出身かもしれませんが、私たちは盛岡市民の意見を聞き、市民の生命と財産を守る為に仕事をしているのであって、他県の地区の人から言われる筋合いはない」と言われた事を伝えたところ、「盛岡に移住しよう!」速攻の決断でした。ですが、その決断から10ヵ月後、妻の癌が発覚し移住が叶わないままこの世を去りました。

亡くなる1か月前、令和3年6月。長距離移動の旅行は不可能の状態でしたが、「中村家のお墓参りと外山に行きたい」という願いを、獨協医科大学病院の主治医とスタッフが聞き入れてくれ体調を整えてくださいました。入籍時同様にお墓参りと【岩洞湖周回「風の谷コース」】を回りたかったのですが、体調の都合で天峰山まででしたが大好きだった景観を見せる事が出来ました。病院関係者の方々には本当に感謝申し上げます。

28年の歳月だけが経ち家族の願いを叶える事も出来ず何の成果もあげられませんでしたが、私を支えてくれた家族のお陰で、大嫌いだった「外山」の真の歴史を知る事が出来ました。只々「ありがとう」の感謝の言葉しかありません。