夏山キャンプと赤い目玉の課外授業
1978年(昭和53年)7月26日――中学3年生の夏休み直前、2年に一度の学校行事「夏山キャンプ」が行われました。「夏山キャンプ」と聞いて、多くの人が想像するのは、バスで自然いっぱいのキャンプ場に移動してテント泊……といったものだと思います。でも、私たちの学校のキャンプはちょっと違いました。
場所は高原地帯の外山。行き先はキャンプ場ではなく、校庭。そう、見慣れた学校のグラウンドにテントを張って一晩を過ごす、いわば“お泊まり会”のようなものでした。「キャンプって、もっと非日常を楽しむものじゃないの?」正直、当時の僕はそんなふうに冷めた気持ちでいました。山に囲まれた場所に住んでいるのに、また山でキャンプする意味ある?と。海ならまだしも……なんて、ちょっとひねくれた子どもでした。
教頭先生の意味不明な課外授業
そんな不満を抱えつつも、中学1年のときは夕方から雨が降り、キャンプファイヤーもできずに体育館泊になりましたが、今回は晴天に恵まれ、順調なスタートでした。テントの設営や料理の記憶は曖昧でも、ひとつだけ強烈に残っている出来事があります。それは、池内教頭先生による、意味不明な課外授業でした。
池内先生は盛岡市内の自宅から毎日車で通っていた理科の先生で、インテリ風。夏目漱石の『坊っちゃん』に出てくる「赤シャツ」のような雰囲気の方でした。授業中に仁丹を噛みながら教える姿から、「仁丹先生」と勝手にあだ名をつけていたほどです。
「〇〇はこうだから、こうなる。中村君、分っかるかね〜。分かるかね〜。中村君。」独特のイントネーションで問いただす姿に、子ども心に「変な先生だなぁ」と思っていました。そんな先生が、キャンプファイヤーの準備中、興奮した様子で夜空を指差し、こう言ったのです。
- 校庭でのキャンプ
- 校庭で行われたキャンプファイヤー
- 燃え盛る炎
「分かるかい?分かるかい?」星と教頭先生の熱弁
「君たち、君たちはね! 天の川や夏の大三角形、さそり座を肉眼で見られることが、どれほど幸せなことなのか分かるかい? 分かるかい?」私は夜空を見上げながら、「え、そんなに珍しいのか?」と思っていました。先生にとっては、盛岡市内の明るい夜空しか知らなかったのでしょう。星が降るように輝く外山の空は、まさに“感動体験”だったのだと思います。
そしてそこから、即興の「課外授業」が始まりました。夜空に指をさしながら、「あの明るい3つの星を結ぶと『夏の大三角形』になる。こと座のベガ、わし座のアルタイル、白鳥座のデネブ……」と熱く語ります。夜空の星は好きでしたが、私は「ふーん、そうなんだ」くらいの温度感で聞いていました。
- 夜空を指さし星座を語る教頭先生
- 満点の星空
- 歌い出すご機嫌な教頭先生
そして、始まる突然の歌
教頭先生は星座の解説に酔いしれながら、まるで子どものようにある歌を歌い出しました。「あかいめだまの〜♪〜〜〜♪〜」初めて聞く、変わった節の変な歌。何の歌かも分からず、心の中では「さっぱり解らん。変な歌だな」と思っただけでした。
先生が歌っていたその歌――それは宮澤賢治の「星めぐりの歌」でした。そのことを知ったのは、私が多摩芸術学園に入学し、長岡輝子先生に出会ってからのことです。
大人になって、ようやくわかったこと
多摩芸術学園時代、写真科の友人・小木智博氏に外山の風景を記録してもらおうと、2006年6月11日、東京を夜に出発し、深夜に盛岡へ到着しました。盛岡の夜景を見せようと天峰山に登ると――目の前には、あの頃と変わらない満天の星空が広がっていました。すると小木ちゃんが一言。
「なんでこんな星空が見える場所だって教えてくれなかったんだ。屋久島に匹敵するレベルだよ! 星空用のレンズ、持ってくればよかったじゃん!」……まさか怒られるとは(笑)。でも確かに、外山の星空は僕にとって“当たり前”で、特別だなんて思ったこともなかったんです。まさに「灯台下暗し」。都会での生活が長くなって、ようやくそのありがたみが分かるようになりました。
あのとき、教頭先生が言っていた言葉
「君たち、君たちはね! 天の川や夏の大三角形、さそり座を肉眼で見られることが、どれほど幸せなことなのか分かるかい? 分かるかい?」今になって、その意味が心に深く刺さります。
ちなみに――1978年7月26日午後8時、盛岡市の空では夏の大三角形と天の川がはっきりと見える時間帯だったそうです。この日は下弦の月で、22:53に月が昇り、翌11:12に沈むという、まさに絶好の観測日だったとのこと。